進化、性、芸術2
“進化、性、芸術1”からの続き
段落を変えてくれ(書き取っているバッツへの指示)。できるだけ簡単な表現で言うなら、愛とは勢いであり、存在はその勢いから生じる。この言葉については本書の後の方でもっとじっくり考察してみることになるだろう。愛は表現と創造性を探し求める。性的な表現は愛が創造性を追求する方法の一つだが、「唯一の方法」では到底あり得ない。愛は芸術、宗教、遊び、他の人々を助ける行動を通して表現を見出す。ピリオド(バッツへの指示)。性的な表現のみに限定されることはあり得ないし、普通の成人がどのくらい頻繁に自らを性的に表現すべきかなどといった規則を設けられるようなものでもない。
自分自身は元より他人からも「ホモセクシュアル」というレッテルを貼られている男性達の多くは父親になりたがっている。彼等は自らの観念、そして社会が抱いている観念によって、自分が常に「ヘテロセクシュアル(異性愛指向)」、「ホモセクシュアル(同性愛指向)」のいずれかでなくてはならないと想像するよう導かれてしまったのだ。彼等の多くは女性達に対しても欲求を感じるのだが、それも(自分が「ヘテロセクシュアル」であり得るという観念と同じく)抑圧されてしまうわけだ。「男か女か」という指向性は君達の理解していない形で君達自身を制限している。例えば、多くの場合、優しい「ホモセクシュアル」な父親には、「男は無情、鈍感かつ競争好きでなければならない」と信じている「ヘテロセクシュアル」な男よりも優れた、持ち前の「男らしさ」という観念があるのだ。もっとも、この場合、どちらの男性も典型的な(型にはまった)イメージなのだが。
愛は芸術を通して表現され得る。芸術は極めてまともな表現方法だ。これは、そうした(芸術活動をする)人間がどんな場合でも性というものを抑圧しているとか、創造的な活動のために性的なエネルギーを「くすねて」いるのだとか言っているわけではない。もちろん、そういう場合も(実際には)あり得るわけだが。どんな分野であっても、自然な芸術家の多くは、性的な行動よりも、こうして創造的な活動に勤しむことで愛を表現する。
(10時5分。)これは、こうした人々には性的に楽しめるような出会いが決してないとか、彼等はパートナーとの関係が長続きしないなどと言っているわけでもない。言っているのは、彼等の場合、全体的に愛の推進力は芸術を作り出すことで表現されるということ、彼等の愛はその芸術作品を通して語ろうとするのだということ、そして、その語りかけは身体を使ったのとは違う言葉で表されるということだ。
どんな分野でも、いつでも、優れた芸術家は自分という人間の中身が特定の性別以上のものであることを本能的に感じるものだ。自分の性と自分自身を同一視する限り、君達は個々の人間、そして人類全体に備わった潜在能力を制限することになるだろう。一般的には誰でも、男か女、レズビアンかホモセクシュアルとして行動する方が楽だろうが、根本的には誰でもバイセクシュアル(両性指向)だ。
キーワード 愛, 性, 芸術
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