ゲリス 08 - 現実を創る3
人は死亡すると姿が変わります。ただ、その姿が、私達の感覚器官では知覚できない形のエネルギーであるというだけのことです。亡くなった人々は私達と同じくらい生きています。あるいは、別の言い方がお望みなら、私達も彼等と同じくらい「死んでいる」わけです。赤ちゃんは、自分のいる部屋からお母さんが別の部屋に行っても、それは一時的に「見えなくなった」だけで、お母さんは生きている(消えてしまったわけではない)ということを学習しなくてはなりません。死も同じことです。死についての観念となると、私達も赤ちゃんと大した違いはありません。「亡くなった」とされている人々は、私達が身体的に知覚できない、違うレベルの現実界にいるので(私達には)一時的に見えないというだけのことです。
私達が「亡くなった」人々と行う活発なコミュニケーションに気づくことができる、もう一つの便利な手段は直観と想像力です。このどちらも、はるかに私達が通常考えている以上のものです。また、そうした直観や想像力と並んで、夢や符合など、身体的、物質的なレベルでの手がかりを使うことで、私達が自らの現実界を創造していること、そして、私達が(特定の行動や出来事を)選択する理由に気づくことができます。
もっとも、(他の人々に対する)同情の気持ちは常になくてはいけません。「自分の現実は自分が創る」という概念を悪用することを選ぶ人達が大勢います。自らの利己的、貪欲、無情な性格を正当化するためです。自分自身の内側に目を向け、なぜ、そういったもの(利己、貪欲など)を感じるのかを見つけようとはしないのです。こんな問いが浮かんでくることでしょう。「どうして貧乏人を助けるべきなんだ?彼等は貧乏であることを(自分で)選んだわけじゃないか」。答えは「イエス」です。彼等は貧乏であることを選び、あなたは貧乏でないことを選びました。もっとも、私達はみんな、人生の状況から学ぶことを選んだのです。ここで、物に不自由しない人々が困窮している人々から学ぶ「レッスン」は、愛すること、同情を感じること、そして、自分がなぜ、まだ他人を愛せないのか、他人に同情できないのかを理解することです。確かに、貧しい人々も自分達の現実を創造していることに違いはありません。それでもなお、私達は彼等を助けるようになっているのです。そうでなかったら、私達はどうやって、愛すること、憐れみを感じること、人を助けることを学べるでしょう?助けを必要とする人々がいなかったら、慈悲の念を抱くということを誰が私達に教えてくれるでしょうか?
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