2010年 09月 06日

内的感覚 1
セス資料(第19章)

管 理之助 訳

 (ロバーツの解説)先日のESPクラスでセスはこんなことを言いました。「『自分とはこういうものだ』と考えている、その自己をほんの一時、脇に置いてみたなら、自分自身にある多次元の現実界を体験できることだろう。これは単なる空虚な美辞麗句ではない。私が何度も理論の話をするのは君達に理論をひけらかすためではない。君達にそれを実践してもらいたいからだ」

 一人の生徒(クラスの参加者)が尋ねました。「具体的にどんな手順を踏んでほしいんですか?」

 「まず、君達は現実界の性質というものを理解してみなくてはいけない。それ(現実界の性質)については、ほんの僅かだがセス資料の中で説明を始めた。500回余りに亘(わた)るこれまでのセッションは、ほんの概略を示しているに過ぎないが、取っ掛かりとしては充分だ。その資料にある数々の概念によって、君達は自ずといろいろ考えることになるはずだ。身体的な感覚と同様、「内的な感覚」というものがあることはすでに話した。その感覚を使えば、現実界が物理的な世界とは別個に存在するのを知覚できるだろう。君達は、この内的な感覚に気づき、それを育み、利用することを覚えなくてはいけない。そのやり方は資料の中で紹介しているが、中身を理解しない限り、利用しようにも利用できるものではない。

 資料自体は ―― こんな言い方を許してもらうなら ―― 巧く実行されるようにできているので、理解しようと努力している段階で、すでに君達は自分に備わっていると考えている範囲を超えた能力を使い始めていることになる。

 君達は何よりもまず、自分の自我(エゴ)と自分を完全に同一視するのを止(や)めなくてはいけない。そして、自我が知覚する以上のものを知覚できることに気づかなくてはならない。未だかつてないくらい、自分自身に対して多くを要求しなくてはいけない。この資料は、包装されてリボンの付いている小洒落(こじゃれ)た「真実」で自分をごまかしてしまう人々のためにあるわけではない。消化しやすいよう、一口大に切った形で分配されるようなものではないのだ。そういう類の話も、それなりの必要性を満たすわけだが、我々の資料は君達が知的、直観的に拡がってゆくことを求める」

 セスが話し終わったところで、生徒(参加者)の一人に付いてきた見学者、メリーが額にしわを寄せ、私に向かってこう言いました。「でも、自我を『ほんの一時、脇に』置いたりしたら、意識がなくなっちゃうんじゃないですか?」

 すると、私が答える隙もなく、セスが独自に回答をくれました。「君は一個の存在だ。ここで、君は手に懐中電灯を持っているとしよう。その懐中電灯は意識だ。その光はあちこちに向けられるのだが、君には一つの決まった道筋に沿って光を当てる癖がついてしまっている。他にも数々の道筋があることを忘れてしまったわけだ。

“内的感覚 2”へ続く

キーワード  精神, 心

 
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