2010年 09月 07日

内的感覚 2

“内的感覚 1”からの続き

 その懐中電灯を他の方向に向けさえすればいいのだ。向きを変えれば、それまで光の当たっていた道筋は一時(いっとき)暗くなるが、他の現実界や映像の数々を役立てることができるようになる。また、君が懐中電灯を元の向きに戻すのを遮(さえぎ)るものなどないのだ」

 セスは、この点を説明するのにいくつかの例えを使いました。(例えば)別のESPクラスの時には、こんな話をしました。「君達には一つの自覚的な意識があるというだけではない。我々は君達に意識のチャンネルを替えてもらいたい…(おそらく、この文章での“…”は「中略」の意)。君達が普段使っている自覚的な意識を一つのドアだとするなら、君達は心のこちら側でその戸口に立ち、そこから物質的な世界を覗き込んでいるようなものだ。しかし、他にも数々のドアがある…。君達には他の意識的な自己がいくつもあるのだ…。

 そうなると、君達が意識を失ってしまうであろうことなどはない。普通の自覚的な意識を締め出しても、意識がただ真っ白になってしまうと感じる必要は全くないのだ。もっとも、一つの自覚的な意識 ―― ドア ―― を閉じると、もう一つを開くまでは暫(しば)し、方向がわからなくなった感じがするかもしれないというのは本当だ。

 また、確かなのは、君達には他の現実界を知覚できる方法を学ぶ必要があるであろうということ。それは単に、君達自身の中にある、そうした自覚的な部分の扱い方に君達が慣れていないためだ。しかし、それらの部分は、君達が普通に馴染みのある意識と同じくらい物事を見定めることができ ―― 同じくらい聡明でさえあり ―― 同じくらい正当かつ本物なのだ」

 意識とは何かを学ぶ方法は一つしかない、とセスは強調します。それは、私達自身の意識を研究、探求することです。それはまた、注意を向けるフォーカスを変えることであり、できるだけ多くのやり方で私達自身の意識を使うことです。セスは言います。「自分の内側に目を向けると、その努力自体が君達の意識の限界(境界線)を押し広げ、意識を拡張することになる。そして、自我本位の自己は、自分にそんな能力が備わっていること自体に大抵は気づかない、そんな能力を使えるようになるのだ」

 内的な感覚が大事なのは、透視やテレパシーの能力を開花させるからではありません。私達が物質に依存していないことを示してくれるからです。また、私達一人一人が独自に備えている多次元の個性を私達自身に認識させてくれるからです。適切に利用すれば、内的感覚は私達に、物質的な世界に生きるという奇跡、そして、その世界における私達の居場所を示してくれます。そして、私達は個人的にも社会的にも、なぜ、ここにいるのかを理解し始めることになり、その結果、より賢く、より生産的で、より幸せな人生を送れるようになるのです。

キーワード  精神, 心

 
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