2009年 01月 06日
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ゲリス 13 - 息子の死 4

 4e. 息子さんが亡くなって、今、住んでいらっしゃる街は何か変わりましたか?例えば、事故現場に信号機が設置されたとか、飲酒運転には一層、警戒するようになったとかいうことはありますか?

 私はニューヨーク市のクイーンズ区に住んでいて、ダンデが「殺害」されたのはニューヨーク州バッファロー市です。彼はそこでニューヨーク州立大学に通い、1996年(亡くなった年)の6月に卒業したばかりでした。そして、1年半以内には彼女と一緒にバッファローを離れる予定だったのです。そういうわけで、彼が亡くなってもクイーンズには何の変化もありませんでした。バッファローも、まず変わらなかっただろうと思います。最近、テレビで、飲酒運転の事故件数はアメリカ国内でバッファローがワースト1だと言っているのを見ましたが、ダンデを轢いた2台の車の運転手が酔っぱらっていたかどうかは知りません。警察は息子を実際に「殺害」した2台目の車を見つけられませんでした。私が聞いた限りでは、1台目の方がはねたのだそうですが、そちらはダンデを助けようとして停止したとのことです。その運転手は酔っぱらっていなかったと思います。

 4f. 私の母が亡くなった日、私の従姉妹(いとこ)は18歳の娘を飲酒運転の交通事故で失ってしまいました。できるだけ慰めたり支えたりしてあげたのですが、そんなに悲惨な形で我が子を亡くした人に向かって「偶然というものはない」などと説明するのは、とても難しいことです。あなたなら、そんな親御さんにどう語りかけますか?

 それは私自身、ダンデの「事件」の後に自問したことの1つです。死とは何か?偶然とは何か?この2つの問いに対する答えが、他の人に対する話しかけ方にも繋がってきます。こういう場合はどうするか、いろいろな人に訊いてみたのですが、全般的な回答として得られたのは、セスをよく知っている人達の場合、悲しみにくれている相手の観念体系(価値観)をわきまえ、言葉のやり取りをそれに合わせるということでした。悲しんでいる人達に向かってセスの語る数々の概念を高々と掲げようなどとはせず、その人達を助けるべく、セスの観念をできるだけうまく、できるだけそっと使おうとするということです。そうした人達の感じている心の痛みを否定したり軽んじたりしないように、ものを言わなくてはなりません。彼等がセスの概念を信じていたとしたら、そうしたことを感じる必要はないのだとわかっているにしてもです。
 
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