2009年 01月 06日
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リチャード・ケンダル氏

ESPクラスに参加していただけでなく、バッツ夫妻とセスを紹介するテレビ番組やビデオの制作も行ってきたケンダル氏は、ウェブ上で自らの体験談を綴った文章を公開しています。ここでは、この著作「エルマイラへの道」(The Road To Elmira)を少しずつ、ご紹介していきます。ページのタイトルおよびカッコ内の注釈は私(管 理之助)が加えたものです。

ケンダル 01 - エルマイラへの道 1-1

全ての道はローマに通じない

 1969年、僕は19歳だった。この国(アメリカ合衆国)の群衆意識(社会的な雰囲気)はブクブクと泡立ち始めていて、その泡がそのままポンと弾(はじ)けてしまう場合もあった。ベトナム戦争の真っ最中であり、1969年11月には約25万人の人々がワシントンDCで反戦の(デモ)行進をした。その戦争は、この国自身を敵対し合う派閥に分断してしまっていた。
 同じ年、「3日間の平和と音楽」と銘打たれたウッドストックウィキペディアを参照)には50万人近い人々が集まり、その中に僕もいた。「音楽」の方は確かにたっぷりとあったが「平和」の方はと言えば、お粗末なものだった。その年、映画「イージーライダー」がワイドスクリーンで公開され、ピーター・フォンダとデニス・ホッパーが真のアメリカを求めてバイクで水平方向に(東西横断の)旅をした。ニール・アームストロングは垂直方向の進路をとり、月面を歩いた最初の人間になった。70年代に手が届こうとする頃には、60年代のイデオロギーがクライマックスに達していた。それから数年もすると、かつてのヒッピー達は、きれいに髪を刈り上げ、きちんとプレスされたスーツにネクタイという出で立ちで、今日の弁護士や医師やウォールストリートのブローカーになっていくのだった。
 この移り変わりが比較的、簡単にできた者達もいたが、そうでない連中は(自分の中で)苦闘することになった。僕の場合、定職を探し、一つところに落ち着き、金を稼ぐことに神経を注ぐといったことを考えると、そうしたゴールは全て、自分の中にまだ生きているヒッピー精神にとって「破門」を意味した(そうした目的を追い求めること自体、もうヒッピーではないということ)。だから、僕は自分がとってきた反体制文化のスタンスをそのまま続け、結果として、どんどんアウトサイダーになっていった。今にも消えようとしている世界と新しい世界との間で宙ぶらりんの状態だ。その新しい世界の一員に自分がなりたいのかどうかも定かではなかった。
 60年代が終わりを告げる頃、僕の周りは不確かなことばかりだった。確かだと感じたのは一つだけ。人生をさらに進めていく前に、自分には、いくつかの答えが必要だということ。簡単で基本的な、いくつかの問いに対する答えだ。例えば、自分はなぜ、ここにいるのか。神はいるのか。死んだらどうなるのか。前世はあるのか。宇宙には自分達以外(の知的生物)はいないのか。出来事は全て、あらかじめ決まっているのか。この世には、どうして、こんなにも苦難が多いのか。繰り返しになるが、こうした若干の簡単で基本的な質問だ。
 
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