2010年 09月 06日
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ケンダル 08 - エルマイラへの道 2-2

 このルートに沿って並ぶ町の1つがニューヨーク州のワーツボロだ。ここはキャンプ ラコタの町であり、その合宿イベントには何年も続けて参加した。ここで初めて夏を過ごした時には、全く新しい世界を発見したようだった。僕のカウンセラーの祖母にあたる人が、このキャンプ施設のオーナーだったので、最初から強みがあった。日々のプログラムはスポーツ活動を中心に組まれており、僕は小さい頃から運動が得意だったので、僕の人気は保証されたも同然だった。しかし、一番大事なのは、理由は定かでないのだが、僕のカウンセラーが、非公式ではあるが、僕を養子にしてくれたことだ。彼の優しさと心配りをいつも思い出したものだ。
 ワーツボロから25kmほどで、やはりルート17沿いにあるのがモンティチェロだ。背後にはキャッツキル山地がそびえている。僕が小さかった頃、僕の一家は、ここにある様々なバンガローの集落でよくバケーションを過ごしたものだ。全く久しぶりにワーツボロとモンティチェロを通り過ぎて、そうした、比較的、屈託(くったく)のない日々を思い出した。僕の中には、そんな日々に戻れるものなら戻りたいと願っている部分もあった。それでも、1972年1月4日、僕のターゲットはニューヨーク州エルマイラ市、西ウォーター ストリート458番に絞られていた。クラスが始まる予定の午後7時には到着している必要があるのだ。
 ジェーンと彼女の夫ロバート・F・バッツは、古いビクトリア調風の家の中にある、2世帯分のアパート区画を借りて住んでいた。すぐ近くには、チェマング川が静かに水音を立てて流れている。階段を上り、ジェーンのリビング ルームに足を踏み入れて、まず、目に留まったのは、そこに集まった人々(の風貌)だった。僕が常日頃つきあっているのは、長髪でヒッピーとして生きている友人達が殆どだった。その彼等が、もし、ジェーンのリビング ルームを見たとしたら、そこにいる殆どの人間を「体制派の連中」と見なしたことだろう。「体制派」とは、当時、伝統的な価値観を持ち、その伝統に従った人生のレールを進んでいく者達に対して使われた表現だ。僕達は、正に、その伝統的な価値観から抜け出そうとしていたのだ。
 そうした参加者達の中には、学校の教師、看護婦、親子4代にわたってエルマイラに暮らし、ショッピング センターを経営している人、元修道女などがおり、地元に住む主婦も結構いた。どれもこれも、僕が予想していたのとは少しばかり違う。この種の人達は、存在の本質とか、その手のことについて疑問を感じるようなタイプではないと、僕は思っていた。しかし、そんな、型にはまったものの見方は、すぐに打ち砕かれたのだった。そして、それからクラスが何年も続いていく間には、さらに何度も打ち砕かれることになった。
 
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