2010年 09月 07日
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ゲリス 18 - 人命と選択2

 その状況でどんなことが行われたにしても、最終的には当事者全員の成長と学習に繋がります。また、実際には、昔からの意味でいう「死」というものはないわけです。殺された人達はただ、エネルギー状の姿に変わり、それが眼には見えないというだけのことです。いかなる存在も消されたり壊されたりしてしまうことはありません。あなたとナチの人間がそれぞれ、どんな選択をしようと、各人はそうしたこと全てをそれぞれの現在の人生から眺めることになります。それぞれの全ての次元 ― ハイアー セルフhigher selves、魂souls、オーバーソウルoversoulsなど ― に亘(わた)ってです。そこで様々な感情を経験し、決定を下すと、それがこの人生の残りの“時間”と、未来や過去の人生の選択に影響するのです。
 (ナチに殺すよう命じられた)その一人の命を奪えば、あなたには、その責任があるわけですが、「責任がある」とはどういうことでしょう?あなたがその一人を殺さない場合、ナチの人間が十人を殺すことを選択する責任は、あなたではなく、そのナチの人間にあります。でも、「責任がある」とはどういうことでしょう?
 さらに興味深い問題があります。そのナチの人間がまもなく十人を殺害するであろうことがわかっているとします。しかし、彼がそれを実行する前に、あなたには彼を殺すチャンスがあるとしたら … あなたは彼を殺すべきでしょうか?いや、もっといい問題にしましょう。ヒトラーが近い将来、ホロコースト(ユダヤ人の大量虐殺)などで1100万人の命を奪うことがわかっていて、あなたには彼がドイツの総統になる前に彼を殺すチャンスがあったとしたら … あなたは彼を殺すべきでしょうか?
 私だったら、それでも「ノー」と答えるでしょう。私達はホロコーストでどんなことが起こったか知っています。それがどれほど怖ろしく、人のプライドを踏みにじり、悲惨で、残酷で(残念ながら)人間の本質をさらけ出したことだったのか、わかっています。(しかし)ヒトラーが権力を手にしなかったらどうなっていたか、どうなり得たかはわかりません。彼はナショナリズムの過激な狂気をその極限まで推し進めて世界に見せつけました。もし、その時にその教訓が与えられ、そこから(私達が)学んでいなかったとしたら、核兵器が作り出された後、このナショナリズムの重大な“レッスン”は、過激な国家主義の例として核戦争を使って展開されていたのかもしれません。何かが起こった後、何が起こらなかったのかは、意識的なレベルではわかりません。わかるのは(実際に)起こったこと、そして、起こることだけです。
 
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