Seth Network Japan
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初期セッション集第7巻

在るもの総て - 2 - 2

 (今言ったように)在るもの総てには君としての自分自身に意識を向けている部分がある。それは例えば、実際、君の人生に焦点を合わせ、自らのエネルギーを君の中に向けている部分であり、必要があれば君はその相手(部分)に助けを求めることもできる。その一方で、総合的な神の人格(パーソナリティー)というものもある。それは自分という存在が自ら創造したものの総和以上であることも心得ている。これが最も深い意味での「在るもの総て」だ。

 私は話をできるだけシンプルにしようとしている。としての自分を知っている在るもの総ての一部も、自分が君以上の存在であることを知っている。いいかね、この、自分が君であり、君以上であることを知っている部分こそが個人的な神the personal godだ。繰り返すが、この形態、在るもの総てのこの部分が君のために気を配るのであり、一人のパーソナリティーとして助けを求める対象になり得るのだ。しかし、この部分はそれ自体、在るもの総ての一部でしかない。

在るもの総て - 2 - 1

在るもの総て - 2

初期セッション集 第7巻 1967/01/11
セッション 311

マサ 訳

 こんばんは。
 (「こんばんは、セス」)

 さて、哲学的なことで少し、はっきりさせたい事柄がある。ルバートはそのいくつかについて、やや混乱した状態が続いているのだ。従来からあるキリスト教の神の概念は多くの点で都合のいいものだった。そして、その概念には真実も多く含まれている。いいかね、それは本当でありながら本当ではないわけだ。

 これがひとつの「象徴(シンボル)」であるということを君達が悟れば、そこで初めてより多くのものが見え始め、君達は理解に近づくことになる。理解から遠ざかるのではない。キリスト教的な意味でいう個人的な一人の神がいるわけではないが、それでも君達が在るもの総ての一部に接することができるのは事実だ。その部分は他の全てに優先して、まず君だけにぴったりと波長を合わせている。

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