フレームワーク2 - 1
フレームワーク2
個人、そして群衆現象の本質
セッション 817 1978/01/30
マサ 訳
自然科学者は自然(を構成する要素)の外観を観察し、外面性を研究する。原子や分子、あるいは(理論的に)光よりも速い粒子の研究作業でさえも、現実界における粒子の性質に関するものだ。科学者は普通、自然の中に心を探し求めはしないし、ましてや、その魂の研究に従事することもない。
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個人、そして群衆現象の本質
セッション 817 1978/01/30
マサ 訳
自然科学者は自然(を構成する要素)の外観を観察し、外面性を研究する。原子や分子、あるいは(理論的に)光よりも速い粒子の研究作業でさえも、現実界における粒子の性質に関するものだ。科学者は普通、自然の中に心を探し求めはしないし、ましてや、その魂の研究に従事することもない。
彼等(子供たち)は始終、実験をしている。ごく密かにだ。それは同時に目上の者達が彼等を既存の具体的な現実に従わせようとしているからだ。そちらの現実は多かれ少なかれ、彼等のために大量生産された既製品だ。
個人、そして群衆現象の本質
セッション 824
マサ 訳
(今夜、夕食の後、ジェーンと僕は進化論について話し合っていたのだが、話が終わらないうちに…)
こんばんは。
(「こんばんは、セス」)
口述に入る。宇宙の創造、同様に、大衆一般の出来事や個人の出来事の創造にも関連して、しばらくの間、別の種類の神話について考えてみよう。
今夜、我々の友達ルバートとジョーゼフは楽しい夕食の間、童話シンデレラをベースにしたテレビ番組を観た。以前、私が挙げた定義に沿って捉えれば、この御伽(おとぎ)話は「神話」だ。もちろん、君達の知っている世界の創造というのは深遠な事柄であり、そういった大人の真面目な議論と、こんな子供のための話は、およそ関係のないものに見えるかもしれない。また、そんな出所から、出来事の本質に関して科学的に妥当なデータが明るみに出てくることなど、あり得ないように思われるのは、まず確かだろう。