Seth Network Japan
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わたしたちがまた生きるのなら

子供たちの登る丘

子供たちの登る丘

わたしたちがまた生きるのなら

マサ 訳

 わたしたちは時間の中にどんな跡を残すのだろう?
 水曜日たちは積み重ねられ
 層をなして岩のようになり、
 すべての水曜日の行いは
 化石のように埋め込まれ、
 わたしたちの愛も、朝食も、
 朝の散歩も、ひとつひとつ別々に
 ドライフラワーよろしく押さえつけられるのだろうか?
 木曜日たちと金曜日たちの間に。

 あるいはどこかで
 時間は空間に変わり、
 わたしたちから去っていった水曜日たちは
 谷間になるのだろうか?時間は
 大きさに変わり、そして次の月曜は
 どこかよそにある
 草原に育つ
 新たな一枚の葉っぱになるのか。

景観

景観

わたしたちがまた生きるのなら

マサ 訳

 もしかしたら、わたしたちの夢や
 記憶はいっしょになって、
 どこかにある心の国で
 花や丘を形作るのかもしれない。
 そこでは瞬間が永続する。
 こちらで山々が永続するのと同じように。
 もしかしたら、それらは山の岩棚(いわだな)のように
 積み重なるのかもしれない ――
 失われた土曜日たちも、火曜日の
 午後たちも、わたしたちのすべての朝食たちも、
 根を張って、丘へと
 成長していき、
 時間に沿って曲がりくねる。
 そして、どこかの精神的な人たちが
 日曜日になるとそこを車で通りすぎ、
 わたしたちの夢を
 その土地の景観として愛(め)でるのだ。

あなたは夢を見た

あなたは夢を見た

わたしたちがまた生きるのなら

マサ 訳

 あなたは夢を見た
 わたしが誰かほかの人と結婚したと
 そしてわたしは感じた。わたしたちの家が
 わななくのを
 千のちっちゃな地震をともなって。
 日当たりのいい、その丘は
 ゆさぶられ、ジグソーパズルの絵になって
 飛び散った ――
 灌木(かんぼく)のかけら、猫、花、
 屋根、家具、あなたとわたし ――
 精神の玩具がみんな
 バラバラに放り出され、
 わたしは心で叫んだ:
   「そのゲームのピースたちを
   今すぐ
   ちゃんと拾って
   みんな
   元どおりにしなさい」
 すると誰かがそうした。

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