心の歩道
わたしたちがまた生きるのなら
マサ 訳
60年分の考え!
あなたはほかの人たちのために
心の歩道をいくつ
敷きましたか。
その人たちはある日
あなたの心から伸びる
内なる並木道を木陰に沿って
ぶらぶらと歩き、
エキゾチックな商品をあたりまえに売っている
想念の商店街でショッピングできるのです。
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わたしたちがまた生きるのなら
マサ 訳
60年分の考え!
あなたはほかの人たちのために
心の歩道をいくつ
敷きましたか。
その人たちはある日
あなたの心から伸びる
内なる並木道を木陰に沿って
ぶらぶらと歩き、
エキゾチックな商品をあたりまえに売っている
想念の商店街でショッピングできるのです。
わたしたちがまた生きるのなら
マサ 訳
わたしは知りたい。自分の
考えるであろうことは
みんなすっかり形作られていて
見出されるのを待っているのだろうか、
それとも枝わかれした神経の先々にぶらさがって
熟していき
わたしの心のバスケットに
ひとつずつ落ちてくるのだろうか
(そのバスケットが夢見る縁(ふち)までいっぱいになり、
中身を空ける必要が出てくるまで)。
それともわたしの考えは非物質的だけれど
永遠のものであり、そのそれぞれが
今でさえも姿を作りつづけている世界の
精神的な粒子なのだろうか?
そしてすべての世界たちは
そうやって出発したのだろうか?
わたしたちがまた生きるのなら
マサ 訳
動物たちの中には
表現されない自己など
ないようだ。
まるで肉体の中でも
可能なかぎり
フルに自分自身で
いるかのごとく、
意識の中に
満たされるべき
すき間などない。
そのかたわらでわたしたちは
何かべつのものに
成長しようと
している。