わたしたちがまた生きるのなら
マサ 訳
わたしは知りたい。自分の
考えるであろうことは
みんなすっかり形作られていて
見出されるのを待っているのだろうか、
それとも枝わかれした神経の先々にぶらさがって
熟していき
わたしの心のバスケットに
ひとつずつ落ちてくるのだろうか
(そのバスケットが夢見る縁(ふち)までいっぱいになり、
中身を空ける必要が出てくるまで)。
それともわたしの考えは非物質的だけれど
永遠のものであり、そのそれぞれが
今でさえも姿を作りつづけている世界の
精神的な粒子なのだろうか?
そしてすべての世界たちは
そうやって出発したのだろうか?
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