Seth Network Japan
Seth Network Japan

体外離脱

内的ツアー - 3

 君達は自分自身の現実を作る。仮に君達が外国から来ているとして、誰かにニューヨーク市(とはどんなところか)を説明してくれと頼んだら、その人が描写する様子を「現実」だと思うことだろう。(たとえば)こんな風に言うかもしれない。「ニューヨーク市は恐ろしいところです。犯罪がはびこり、ギャング達がのさばり、殺人や強姦は日常茶飯事。市民達は礼儀を知らないだけでなく隙あらば攻撃してこようとします。それから、樹木というものがありません。空気は汚染されているし、予期できるものといったら暴力だけです」。また別の人に尋ねたら、その人はこんな風に言うかもしれない。「ニューヨーク市には最高級の美術館が揃っているし、いくつかの公園では野外コンサートも開かれます。素晴らしい彫刻や劇場もあるし、(図書館群の)蔵書規模は、おそらくバチカンに次いで(世界)最大級でしょう。全体的に気候もいいし、いくつもの文化がうまく融けあっています。そこでは何百万という人々が毎日、自由に自分の人生を送っているんです」。ピリオド。いずれの回答者も同じ場所の話をしているはずだ。

内的ツアー - 2

 (前の話と同様、)大通りを歩く時、君達は(道の両側に植えられた)街路樹がずっと同じ場所にあり、その樹々が(たとえば)建物に姿を変えるようなことはないと考える。そういった前提が君達の物理的な(世界の)旅では全て当然だと思われている。(そうした旅行の中で)様々な習慣や言語に出会うことがあるにしても、それらもまた、広く遍(あまね)く存在する基本的な前提条件の中で受け入れられる。その前提の範囲内に物理的な生活があるわけだ。君達は、道を歩いていく時と同じように、必ず個人的、集団的な心理の中を通って旅をする。もっとも、物理的な世界は客観的に見えるし、君達の外側にあるかのように見える。こうした外面性outsidenessの概念は、君達がその上にその生活を築いていく(基盤となる)前提の一つだ。

内的ツアー - 1

内的ツアー

「知られざる」現実界 第2巻
セッション 710

マサ 訳

 (休止)君達が、この世界で国から国へと旅行する場合、どこに行ってもみんな同じであることを想定したりはしないだろう。正にその逆で、地域ごとの違いがあるからこそ、君達は世界の様々な地域を訪れるわけだ。それと同じように、幽体(体外)離脱の旅も全て、同じ場面に辿り着くものではない。

ページ

* 閲覧画面の幅および閲覧デバイスによっては、上に表示されるページ ボタンが減ります。ボタンの表示が不適切になったり、全体のページ数がわかりにくくなったりすることがありますが、ご了承ください。
Subscribe to RSS - 体外離脱