Seth Network Japan
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 君達は自分自身の現実を作る。仮に君達が外国から来ているとして、誰かにニューヨーク市(とはどんなところか)を説明してくれと頼んだら、その人が描写する様子を「現実」だと思うことだろう。(たとえば)こんな風に言うかもしれない。「ニューヨーク市は恐ろしいところです。犯罪がはびこり、ギャング達がのさばり、殺人や強姦は日常茶飯事。市民達は礼儀を知らないだけでなく隙あらば攻撃してこようとします。それから、樹木というものがありません。空気は汚染されているし、予期できるものといったら暴力だけです」。また別の人に尋ねたら、その人はこんな風に言うかもしれない。「ニューヨーク市には最高級の美術館が揃っているし、いくつかの公園では野外コンサートも開かれます。素晴らしい彫刻や劇場もあるし、(図書館群の)蔵書規模は、おそらくバチカンに次いで(世界)最大級でしょう。全体的に気候もいいし、いくつもの文化がうまく融けあっています。そこでは何百万という人々が毎日、自由に自分の人生を送っているんです」。ピリオド。いずれの回答者も同じ場所の話をしているはずだ。二人の描写が違うのは、それぞれの個人的な観念のせいであり、その都市を眺める時、どこに目を向けるかによって色付けされるからだ。

 ある者は緯度と経度でその都市の正確な位置を伝えることができるかもしれない。別の者は、そんな知識はなく、こう言うかもしれない。「ニューヨーク市を目的地として、これこれの時刻にこれこれの飛行機に乗るんです。正しい飛行機に乗れば、いつもちゃんと到着しますよ」。

 (11 時 13 分に休止)しかし、内的な現実界への旅をする探検家達には、こういった種類の「取っ掛かり」となる目印がない。多くの者達は自分の発見に舞い上がってしまい、内的な地勢の探索がまだ始まってもいないうちに(早合点して)ガイドブックを書き上げてしまった。彼等には、自分の見つけたものは自分が見つけたかったものであること、また、実在するかのように見える現象は(自分自身の)心理の反映から来ていることが理解できていなかったのだ。

 君達は、例えば、いくつもの“内なる王国”を順に挙げていく本を読んだことがあるかもしれない。それぞれの王国でどんなことに遭遇するであろうかを紹介するものだ。その多くでは、その王国の君主や神、あるいは悪魔が登場する。そうした書物は奇妙なやり方で役立つことになる。それは、特定のレベルで、君達は物質化された自分自身の観念に出会うからだ。もし、悪魔を信じるのであれば、その意味で君達は悪魔に遭遇するだろう。もっとも、作者達は、君達(読者)が悪魔を信じるか否かに関わらず、その観念のにそうした悪魔(独自)の現実性があると仮定しているわけだが、実際のところ、そういうことはない。その悪魔達は単に君達の心の一状態を表していて、それが外部に具現化されているように見えるだけのことだ。