Seth Network Japan
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 こうした他の人生の記憶が表面にまで浮かび上がってくる場合、それは当然、その表面によって色付けされるし、浮かび上がるタイミングもまちまちだ。また、それは通常の記憶ほどぴったりと君達の神経系に結び付けられていない。君達の現在に独自の「奥行き感」があるのは、君達が「過去」と理解しているものがあるからこそだ。もっとも、ある意味では、未来も、出来事に備わっている別種類の奥行きを表している。根っこというものは、あらゆる方向に伸びるものだが、出来事もそうだ。ただ、「出来事の根」は、君達の過去、現在、未来を通って伸びてゆく。

 思考プロセスの速度を意識的に下げようとしたり、遊び心をもって上げようとしたりすると、他の人生 ── 過去でも未来でも ── の記憶を察知できることがよくある。それは、ある程度、他の神経学的なパルスに(身体を)慣れさせることになる。君達には、こうした数々の記憶を(互いに関連付けて)組み立てていくのに必要な時空間の枠組みが用意されているわけではないので、しばしば、心許なく感じることがあるかもしれない。こういった演習では、君達自身の人生(現世)での出来事にまつわる事実も関わってくる。演習自体が即、君達の意識の焦点から蓋然性を追っていくことを意味するからだ。

 出来事が具体的かつ完成しているかのように見えなかったとしたら、君達の現実界の範囲で活動するのは極めて難しいだろう。君達は今、この人生において、確実に自分の過去の人生を形作っているし、同様に未来の人生をも形成している。

 同時に、君達の過去と未来の自己達も今、彼等なりに佇(たたず)んでいるわけで、今言ったことは彼等にも当てはまる。理論的には、君達自身の人生における出来事を奥深くまで調べてみれば、これをかなり理解できるだろう。当然のことだと思っている数々の概念を捨て去り、一片の記憶を選んでみるといい。ただし、その記憶を構成しようとしないこと ── 一番難しい課題だ ── それは、この段階では、そうした構成操作が殆どひとりでに起こるからだ。

 (10 時 1 分)その記憶は、構成せずに放っておくと、きらめき、揺れ、君達の(心の)目の前で様々な形に姿を変えるだろう。それは、まるで心理的な万華鏡のようであり、その万華鏡を通して君達の人生における他の出来事もきらめいたり、形を変えたりすることだろう。こうした記憶の演習は他の人生の記憶を得る手助けにもなり得る。縁(へり)や角(かど)や反射がいくつも見えてくるだろうが、ひょっとしたら、この人生のものだとわかる記憶の上に重なっているかもしれない。