Seth Network Japan
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内なる自我

初期セッション集 第3巻
セッション 119

マサ 訳

 こんばんは。
 (「こんばんは、セス」)

 ルバートは今読んでいるユングの本からいいところをたくさん学ぶべきだ。それから、ここで断っておきたいのだが、私はジェーンのアニムスではない(「ルバートの」ではないことに注意)

 (この言葉(アニムス)には馴染みがなかったので僕はもう一度言ってくれるようジェーンに頼んだ。ジェーンは繰り返してくれたのだが、それでもはっきりしなかったので、そのうち自分でユングの本を調べてみることにした。
 1964 年 8 月 31 日のセッション 83 でセスはフロイトとユングの業績を論評し、特にユングの著作に含まれているいくつかの歪み(ゆがみ。事実からのずれ)に触れたことを思い出されたい)

 ジョーゼフ、その本を読めば君もわかるだろう。

 ジェーンのアニムスは本当に私とは全く違うタイプで、彼女の潜在意識にとっては遙かに全知全能的な男だ。実際のところ、私は内部の自我(エゴ)について話そうと思う。その自我は潜在意識内の中心的なとりまとめ役だが、他の数々の世界を覗きもする。その世界とはその自我自身の起源だ。その世界においても、物質的な宇宙の中でも、その自我には自分という意識がない。自我の注意や集中がそれ以外のところに向けられているので(はたから見ると)休眠中であるかのように見えるのだ。しかし(実際に)休眠しているわけではない。

 それは潜在意識の人格化した側面personified aspects。パーソナリティーたち)全ての背後にある自我あるいは指導的な意識だ。ただ、ユングの叙述とは逆に、その休眠した形の潜在意識内やその自我の人格化した側面達の中に、過去世の自己達の残存記憶パーソナリティーが見つかるだろう。彼等は「影」とでも呼べるものだが、だからといって彼等が無力なわけではない。潜在意識の指導的なとりまとめ役であるその内部の自我は自己の一部だ。それは外部の自我の知らない活動や方法に精通している部分でもある。このとりまとめ役こそが、肉体の動きだけでなく奥深い生存のメカニズムをも内側から統制しているのだ。肉体はそのメカニズムなしに存在できないし、外部の自我の存在もそのメカニズムに大きく左右される。

 こうした機能すべてを維持し、身体的な健康の責任を担っているのが、この内的な監督(内部の自我)だ。健康に問題があるときには、この監督とやり取りしなくてはならない。それにはいくつものやり方があるが、それはまた後日、論ずることにしよう。この内的な監督が、潜在意識のすべての層あるいは領域に対して意味をなすように夢のシンボル(夢に登場する事物など)を選択する。また、直観を通して外部の自我に与えられる潜在意識データの量、速度、種類を決めるのも、この監督だ。

 外部の自我が喜んで内部の相方(あいかた)と対等なベースで協調するなら、数多くの深刻な障害が回避できるだろう。