個人、そして群衆現象の本質
セッション 845 1979/04/02 バッツ氏の注釈
マサ 訳
ジェーンと僕は原子力の支持者たち、反対者たちの両方を理解しようとしている。ただ、今の時点で確かなことはひとつだけだ。それは、僕たちの社会においては、どんな事情があろうと、スリーマイル島で(起きる可能性が)怖れられているような炉心溶融(融解)を受け入れることはできないということだ。ペンシルベニアほどの州の広い範囲が何年も先まで荒廃してしまうようなリスクは冒すべきではない。それが、経済的な理由や燃料不足からであろうと、何かの都合や無関心からであろうと、その他、いかなる理由があってもだ。ジェーンと僕は熱烈にこう思っている。「合衆国はまず原子力に力を注ぐのではなく、そのほかにある多数のエネルギー資源を利用するよう、目いっぱい頑張るべきだ」と。少なくとも、原子力の生成に関わるリスクや科学技術が(現在よりも)はるかに徹底して(世間の人々に)理解されるまではそうするべきだ。(実際)開発できるエネルギー資源はほかにもたくさんある。次に挙げるようなものだ。発電の過程で生じる廃熱を利用する「共生成(コージェネレーション)」、太陽光(発電)、波浪(発電)、大気汚染を一段と減らせるより効果的な新しい石炭燃焼方法、地熱(発電)、ガソリンの見事な代用品として使えるエタノール(アルコール)を公共固形廃棄物(都市ゴミ)から造り出すこと、家庭や農場からの廃棄物であるバイオマス(紙や木材から排泄物まで、動物や植物を原料としたエネルギー資源)を燃やすこと、(米国)西部の州に膨大な埋蔵量のある油頁岩(ゆけつがん)からエネルギーを取り出すさまざまな方法、樹木なり炭化水素を生成する植物なりで形成された「エネルギー農場」の設立、揚水によるエネルギー備蓄。こういった代替エネルギー源(の開発)を推し進めるべきだと僕たちは思う。たとえ、それが立ち上げのとき、あるいは継続的にでも、経済という点から見れば原子力よりコストがかかるとしてもだ。一つの原発施設で重大なミスがたった一つあっただけで、恐ろしい結果 ── そして莫大な費用 ── が生じる。しかし、これらの代替エネルギー源なら、確実にどれもそんな結果を引き起こすことはないのだ。
原子力に関連した(科学技術の)不確かな発達状態に対して、ジェーンと僕は表だった態度こそとらないが、自分の国の政府と(原子力)業界の恥ずべき事実を深く嘆いている。彼らは放射性廃棄物の輸送と永久保管のそれぞれについて安全な方法を開発することを 30 年近くにもわたって怠ってきたのだ。これらの廃棄物のなかには、何十万年にもわたって極めて有害であり続けるものもある。つまり、延々と後の世代にまでわたって潜在的な脅威となるのだ。この、本当にいらだたしい科学的、政治的な難問群に対する解決策は、今のところ見つかっていないし、見つからないかもしれない。これらの分野における失敗だけでも、最終的には原子力(開発)の試み全体の幕切れにつながる可能性もあるだろう。いかなる平和的な利用(軍事的な利用さえ)に対してもだ。