Seth Network Japan
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社会

セス・ブックからの抜粋:ウィルス

「個人、そして群衆現象の本質」セッション 801

ミスターM 訳

 以前にお話ししたセスの引用文をお送りします。セスはここでもウィルスについて語っていますが、病気やその他の、われわれが一般的に忌むべきものと考える出来事も必要性があって起きているのであり、より大きな観点から理解することの重要性を説いています。「生きるということ」だけではなく、「死ぬということ」の意味にも正面から向き合わずには、こうしたことを理解することはままならないでしょう。


 『伝染病に関する疑問には、生物学的な観点だけから答えを得ることはできない。伝染病には多くの人の、広範囲にわたって影響力を及ぼす心理的態度が関わっており、関係する人すべての必要性と願望を満たしているのである。その必要性は、あなたがたの観点からすると、生物学的な結果とは切り離すことのできない、宗教的、心理的、文化的現実の枠組みの中で生じるのだ。・・・

 死は種全体の目的を果たすばかりでなく、個人の目的にも適っている。求められずに訪れる死というものはないからだ。

理想家と狂信者 2

 確証もないのに、自分は宇宙からの生物なり地球上の敵なり、あるいは邪悪な霊的パワーなりに追われているような気がしてならない男または女がいるとしよう。この大統領は正にそんな憐(あわ)れな、勘違いした人間と同じように被害妄想を抱いていた。こういった気の毒な人々は数々の出来事から成る論理的な帰結を自分自身に対して組み立てあげようとする。それは、全く害のない出会いが「恐るべき脅威」に変貌(へんぼう)してしまうような形でだ(「一見、何でもない、この選択が、取り返しのつかない結果へと導くのだ」というような、恐怖心をあおる論法)。彼等はその怖れを外側に向かって投影することになる。そしてついには、自分が出会う全ての人々の中にその怖れが存在するように見えるまでに至るのだ。

理想家と狂信者 1

理想家と狂信者

個人、そして群衆現象の本質
セッション 856 1979/05/24

マサ 訳

 ここまで、怯(おび)えた人々、理想主義、それから善と悪の解釈について述べてきたが、本書のこのセクション(第3部)を終える前に触れておきたい話がもう一つある。それはウォーターゲート事件だ。昨夜、ルバートとジョーゼフは(テレビ)映画を観た。ウォーターゲートの一件を創作ドラマ化したものだ。普通ならセッションを開くはずだったのだが、ルバートはその映画に興味があったし、私は私でその番組に対するルバートとジョーゼフの反応に興味があった(のでセッションはやめた)

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