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倫理と道徳

理想家と狂信者 2

 確証もないのに、自分は宇宙からの生物なり地球上の敵なり、あるいは邪悪な霊的パワーなりに追われているような気がしてならない男または女がいるとしよう。この大統領は正にそんな憐(あわ)れな、勘違いした人間と同じように被害妄想を抱いていた。こういった気の毒な人々は数々の出来事から成る論理的な帰結を自分自身に対して組み立てあげようとする。それは、全く害のない出会いが「恐るべき脅威」に変貌(へんぼう)してしまうような形でだ(「一見、何でもない、この選択が、取り返しのつかない結果へと導くのだ」というような、恐怖心をあおる論法)。彼等はその怖れを外側に向かって投影することになる。そしてついには、自分が出会う全ての人々の中にその怖れが存在するように見えるまでに至るのだ。

理想家と狂信者 1

理想家と狂信者

個人、そして群衆現象の本質
セッション 856 1979/05/24

マサ 訳

 ここまで、怯(おび)えた人々、理想主義、それから善と悪の解釈について述べてきたが、本書のこのセクション(第3部)を終える前に触れておきたい話がもう一つある。それはウォーターゲート事件だ。昨夜、ルバートとジョーゼフは(テレビ)映画を観た。ウォーターゲートの一件を創作ドラマ化したものだ。普通ならセッションを開くはずだったのだが、ルバートはその映画に興味があったし、私は私でその番組に対するルバートとジョーゼフの反応に興味があった(のでセッションはやめた)

行動 - 1

行動

個人、そして群衆現象の本質
セッション 833

マサ 訳

 ここでは、ごく簡単な動作を考えてみるものとする。例えば、部屋を横切って(テーブルの上にある)紙を一枚拾い上げたいとしよう。こんな目標なら充分、単純かつストレートだ。その目標は適切なやり方で身体を「駆動」する。そこに関わっている内的なメカニズムを君達が意識的には知らないにも拘らずだ。君達は行く手を遮(さえぎ)るものや邪魔になるものがあることを想像したりはしない。偶然、または運命のせいで、あるいは故意に、家具が置かれているなどとは考えず、適切な方向に向かって、ただ真っ直ぐに進む。その行為には意味がある。それは君達がしたいことだからだ。

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