Seth Network Japan
Seth Network Japan

倫理と道徳

愛とその周辺 - 2

 こうして、神は「男性」となった。そして、本当ならば自然や女性原理という側面に結び付けられるであろうはずの「愛」や「献身」は、人が性に対して感じる、あらゆる自然な魅力からは「もぎ取られて」しまったのだ。こういう風に君達の意識状態を反映した形で、宗教は愛を手懐(てなず)け、支配する目的にその力を使えるようになった。そして、愛と献身は国に対するものとなったわけだ。

 男一人の愛と献身は政治的な利益であり、熱情は国庫に匹敵するほど重要なものだ。それは(熱情があってこそ)多くの狂信者達が大義のためには金銭抜きで働くのと同じように、国家は自らの軍人達が確実に身を挺して働いてくれることを前提にできたのだから。

 (長い休止)少し待ってくれ…。(9 時 56 分に 1 分間の休止)

愛とその周辺 - 1

愛とその周辺

精神の本質。その人間的表現
セッション 774

マサ 訳

 性行為を悪いことだとか、おぞましいとか、低俗なものだとか表立って言ったり、隠そうとしたり、何よりもまず「獣染(けだものじ)みた」ことであるかのようなふりをしたりする時、君達は性行為のことで頭がいっぱいだ。また、性行為の長所を市場の売り文句のように大袈裟(おおげさ)に掲げる場合も、やっぱり、君達は性行為に憑(と)り付かれている。性行為の表現に関して窮屈(きゅうくつ)で非現実的な禁則を設けたり、実際の行為に対して、これも非現実的な規範を定め、その規範に従うことを普通の人に求めたりする場合も、君達は頭から性行為が離れないのだ。

 それから、例えば、異性と知り合っても相手とベッドを共にするまでに至らなければ不自然だと感じてしまう若者達がいるのは、お仕着せの無節操から来ているが、そうした節操のなさは「性的な自由」のうちに入らない。

報復

セスは語る
セッション 550

マサ 訳

 (9 時 45 分)さて、君達が拠り所としている視点からでは、全ての出来事が創造性を実現するべく起こっているということに気づくのは、しばしば難しいものだ。また、本来的な意味で君達自身に備わっている自由奔放な創造性を信じることも同じように難しい。君達の(社会的な)体系において(人を)「殺す」ということは倫理上、明らかな犯罪だ。しかし、刑罰として他の人間を殺すことは、元の過ちに輪を掛けた過ちを犯すことにしかならない。1つの教派 ── 「文明」と呼ぶ方がよければ、それでもいい ── を設立した、非常に有名な人(おそらくユーモアを込めた表現)は、かつて(片方の頬を)「打たれたら、もう片方の頬を向けなさい」と言った。ただ、彼の言った元々の意味を理解するべきだ。つまり、頬を打つ者は基本的に自分自身を打っているに過ぎないということを心得ているから、もう片方の頬を向けるのだ。

ページ

* 閲覧画面の幅および閲覧デバイスによっては、上に表示されるページ ボタンが減ります。ボタンの表示が不適切になったり、全体のページ数がわかりにくくなったりすることがありますが、ご了承ください。
Subscribe to RSS - 倫理と道徳