Seth Network Japan
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バッツ夫妻

理想家と狂信者 1

理想家と狂信者

個人、そして群衆現象の本質
セッション 856 1979/05/24

マサ 訳

 ここまで、怯(おび)えた人々、理想主義、それから善と悪の解釈について述べてきたが、本書のこのセクション(第3部)を終える前に触れておきたい話がもう一つある。それはウォーターゲート事件だ。昨夜、ルバートとジョーゼフは(テレビ)映画を観た。ウォーターゲートの一件を創作ドラマ化したものだ。普通ならセッションを開くはずだったのだが、ルバートはその映画に興味があったし、私は私でその番組に対するルバートとジョーゼフの反応に興味があった(のでセッションはやめた)

夏は冬

「知られざる」現実界 第1巻(巻頭)

マサ 訳

 今日は明日、そして、今、過去
 何も存在しないし、すべてがありつづける。
 始まりはない、終わりもなかった
 落ちる深みもない、登る高さもない。
 あるのは、この瞬間、この光のきらめきだけ
 それは何も照らさないけれど、ああ、こんなに明るいの!
 だってわたしたちは空間を飛びまわる火花なのだから
 一瞬の時に備わっている気品の永遠性を費やして
 だって今日は明日、そして、今、過去。
 何も存在しないし、すべてがありつづける。


 (R.F.B.(バッツ)の注釈:これは 1952 年 4 月にジェーンが書いた詩の後半にあたる第2節だ。彼女は 23 歳だった。セス資料の口述を始めることになる 11 年も前に創作された、この未熟な作品にさえも、彼女の神秘的な本質が持ち前の知をあらわにしている)

観念の使い方

魔法的アプローチ
セッション 1980/08/28

マサ 訳

 自分の集中するものが自分に返ってくる(たとえば、健康に集中すれば健康が、病気に集中すれば病気が返ってくるということ)。そして、その集中する範囲の中で専ら責任を担うのは自分自身の観念だ。

 魔法的な方法(の具体的な手順)などというものはない。あるのは君達がいつも使っている「自然な方法」だ。もっとも、君達は、見当はずれの憶測でしかないのに真実だと思い込み、その観念に基づいて、その方法を使うことも、ままあるわけだが。ちょっとした例を挙げてみよう。たまたま、ルバートが最後には自分で気づいたケースだが、自然な方法を示す格好の例だ。結果こそ、最初は好ましくなかったが、ルバートは、その自然な方法を見事に使った。また、この例は、ルバートの理解がより深まっていることも示している。

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