Seth Network Japan
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観念の使い方

魔法的アプローチ
セッション 1980/08/28

マサ 訳

 自分の集中するものが自分に返ってくる(たとえば、健康に集中すれば健康が、病気に集中すれば病気が返ってくるということ)。そして、その集中する範囲の中で専ら責任を担うのは自分自身の観念だ。

 魔法的な方法(の具体的な手順)などというものはない。あるのは君達がいつも使っている「自然な方法」だ。もっとも、君達は、見当はずれの憶測でしかないのに真実だと思い込み、その観念に基づいて、その方法を使うことも、ままあるわけだが。ちょっとした例を挙げてみよう。たまたま、ルバートが最後には自分で気づいたケースだが、自然な方法を示す格好の例だ。結果こそ、最初は好ましくなかったが、ルバートは、その自然な方法を見事に使った。また、この例は、ルバートの理解がより深まっていることも示している。

 ルバートは(昨日)天気予報を聞いて嘆いた。30℃を優に超える、翌日(今日)の極めて不快な暑さを思い、猛暑で弱ってみじめな自分を想像したのだ。実際、暑くなったような気がしてきた。不快だった過去の日々が頭をよぎり、次の瞬間、そのイメージをこの週末に投影していた。逃れる術(すべ)はないように感じた。この過程の途中で彼は自分を取り戻そうとしたが、自分の身体は到底、その暑さに対応しきれないと信じていた。その観念の方が、自分の考えを変えようとする彼の意思に勝(まさ)っていたので、時間にすれば十分ほどだろうか、そうした考えが頭の中を行ったり来たりしていた。

 しかし、彼は引き続き、自分に言い聞かせた。何はともあれ、今、明日のことで気を揉むのはやめにしよう。予報がはずれることだってあると。そして、自分の知性を使って、どこかしら自分にとって有利な別の体験を引き出すための事実を1つ1つ並べ始めた。以前、彼は昔からのやり方で自分の描いたイメージに合うあらゆる事実をかき集めることによって、そのイメージを作り上げていった。彼は、そのことに気づいて、それを使ったのだ。使った手順は同じものだが、(今回は)もっと自分のためになるイメージに使ったわけだ。そして、その手順はちゃんと機能する。その点に気がつきさえすればいいのだ。

 君達の体験は君達が集中するもの、信じるもの、期待するものに従う。頭脳とは強力な「選別機」であり、君達の(生活の)範囲内では殆ど、どんな体験でも引き出すことができるのだ。