Seth Network Japan
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観念のリセット

健康への道
セッション 1984/06/01

マサ 訳

 さて、君達にまた新たな素晴らしい午後を…
 (「こんにちは、セス」)
 …では口述を再開しよう。

 (長い休止)夥(おびただ)しい数の人々が実際のところ、不満足な人生を送っている。その多くは殆ど到達不可能な目標を目指している。到達不可能というのは、(自分の中に)相反する観念が寄せ集まっていて、その全てが本人の気を惹こうとして競い合うからだ。その人々は自分自身と意図が噛み合わなくなってしまうわけだ。

 これによって個人的なジレンマや病気、そして一見、無益であるように思われる人間関係が生じることになる。しかし、それだけでは収まらず、国家的な誤解、国家関係のもつれ、世界秩序の混乱にまで至るのだ。しかし、こうした諍(いさか)いを切り抜ける方法は実際にある。全体的な図式がどれだけ不幸に見えようとも、一人一人の人間には、表現、平和、充足のために利用できる手段が幅広く存在するのだ。

 だから、健康を向上させることもできるし、あらゆる体験の質を深めることも可能だ。

 君達の理解しているような現世的人生の観点から、いつかは全ての病気が克服され、あらゆる人間関係は必ず満ち足りたものになるであろうと想像したり、将来は地球上の人々がみんな平等に敬意をもって扱われるようになるであろうと予見したりするのは、あまりにも楽観的過ぎる。一つには、本書で前に触れた、より大きな枠組みの中では、病気というもの自体が人生全体における活動の一部だということがある。所謂(いわゆる)「病気の状態」は身体的(物質的)な人生にとって通常の健康と同じように必要なものだ。だから、我々は地上における涅槃(ねはん)の話をしているわけではない。我々が議論しているのは、自分のプライベートな認識を活発化させ、普通の意識の質を充分に拡張、発展させることが本書の読者一人一人にとって可能であるということだ。そうすることで、人生とは(読者の)現在の体験と比べて殆ど「地上の楽園」だと思われるまでになり得るのだ。

 (4 時 18 分に長い休止)これは最も重大な特質を備えた再教育を伴うことになる。これまでに触れてきた相反する観念群は全て、私が以前「公式な意識ラインthe official line of consciousness」と呼んだものから来る結末だ。確かに、こうした相容(あいい)れない観念群が芽生えるよりもずっと前から人々は病気を経験した。しかし、繰り返すが、それは個々人、世界、それぞれの総合的な健康において「病気の状態」が演じる役割があるからだ。