Seth Network Japan
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自分とは?

あるアメリカ人哲学者の死後日誌 ── ウィリアム・ジェームズの世界観(セスによる序文)
セッション 775

マサ 訳

 こんばんは。
 (「こんばんは、セス」)

 ルバートは自分という独自の存在を立証できる。普通の意味で言えば、彼は自分という存在が始まったのは自分の生まれた1929年で、そこからずっと現在に至っているとみなす。その意味で彼には時間的な歴史があり、それを証明する(それぞれの時期の)手紙や思い出の品々やスナップ写真などがあるわけだ。

 彼が君(バッツ)に会ったのは時間と空間の中にある特定のポイントであり、君達二人の自己性は(そのときから今まで)継続している。この二点は君達二人共、認めることだ。よって、ルバートは自分という存在を証明できることになる。

 意識を描いた真の物語はまだ(文書や物証の形で)記されていない。意識とは本質的にそういった描写では決して捉えることのできないものだからだ。初期のセッションで私はできるかぎりシンプルに話したが、それでもそこには、あとになって登場してきたテーマ、まだ出てきていないテーマの多くの核心部分がそれなりの形で含まれていた。初めの頃、私は「断片パーソナリティーfragment personality」という言葉を使ったが、それはただ、自己性というものが一つの単位として簡単に規定できるようなものではないという考え方を伝えるためだ。

 その後の資料では「簡単に規定される自己」という概念からさらに遠ざかった。すべての意識は互いに関係している。意識はいくつもの流れとして一緒に流動し、上り、下り、渦を巻き、分かれ、混ざり合い、融けあうのだ。しかし、この壮大な相互作用の中において、普通の意味でどれほど短い間であろうとも、一人一人の自己性が抹消されてしまうことはない。それは侵(おか)されることが全くないのだ。その一方で自己は他の自己達と連携することができる。物理的なグループがあるのと同じように心的なグループもあるわけだ。この世界の物理的な構造は、それ自体の中身を形にしたものだ。物理的な元素にはバンク(貯蔵場所、格納庫)がある。

 より広い意味では、一人一人の体験は ── 各人のプライベートなものであると同時に ── 心的なバンク(データバンク)の一部になる。それは人類全体に属するものであり、そこには(膨大な数の)能力、態度、目的、そして計画が含まれている。それらが形成しているのは(人類が綿々と引き継いできた)遺産であり、一人一人が(そこから必要な情報を)引き出せるものだ(銀行から引き出す行為のたとえ)。この「引き出し」は(この世に)生まれる前だけではなく、人生のどのポイントにおいても行われる。君達自身の「自分」を保ちながらでも、人生は君達が見当を付けているよりも遙かに大きく変えることができるのだ。