Seth Network Japan
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胎児 - 2

セス資料
セッション 504

マサ 訳

 1969 年 9 月 29 日(月)午後 9 時 17 分

 (以下はセッションの抜粋)

 前回のセッションで始めた話にもっと付け加えてみたいと思う。胎児には物理的な環境が見える。この発育段階での細胞は光に反応し、母体の細胞構造に眠っている能力を呼び覚ますのだ。文字どおり、母体を通して、また、母体の助けを借りて、物を見るわけだ。

 鮮明な映像が見えるわけではないが、胎児はもう、姿や形の概念を築き始める。言うまでもないことだが、瞼(まぶた)もそれに合わせてできている。言い換えれば、目を閉じていても瞼を通して見えるということだ。胎児には光と陰がわかるし、姿や形もわかる。もっとも、胎児は、与えられた現実界の領域から、君達が物体として受けとめているものとそうでないものとを区別することを学ばなくてはならない。

 胎児には、君達や自分の母親が見ているよりも多くのものが見える。君達のように特定のパターンのみを受け入れ、後は跳ね除(の)けてしまうということを、まだ理解していないからだ。生まれる頃には、現実とはどんなものかという両親の観念を受け入れることを習得している。広い意味で、君達が物理的な現実界と呼ぶであろうものだけに集中するよう、自分を訓練し始めるのだ。もっとも、胎児は君達が受け入れない、他の領域のこともまだ知覚する。ただ、自分が一つの決まった現実界に集中した場合に限って(周りから)認められ、自分の欲求が満たされるので、他の現実界を切り捨てることをすぐに覚えるわけだ。

 さて、胎児には音も聞こえる。そして、子宮の中にいる間、(視覚の場合と)同じことが、ここでも言える。すなわち、胎児には物理的な環境からの音が聞こえるということ、そして、現実界の中で、君達には手の届く範囲にありながらも君達が受け入れていない領域、その領域内の音も胎児には聞こえるということだ。生まれたばかりの新生児には、そうした音や声がまだ聞こえるのだが、それらもまた、その子の生理的な欲求に応えてくれるわけでもなく、泣いたところでミルクをくれるわけでもない。こうして次第に、その子供はそういった音や声を顧(かえり)みることはなくなる。

 しばらくの間、その子は数多くのレベルに亘(わた)る現実界を一斉に知覚する。何をどうしたらいいのかわからないかのように見える場合、その一端は、その子供が最初のうちは、あまりのデータの多さに混乱してしまうことから来ているにすぎない。人と場合によっては、胎児が、自分の過去世で知っていた人々からのメッセージを受信し続けていることもある。そうなると混乱は更に大きくなる。その子がそうしたメッセージを大方、無視しつつ、物質的な現実界に集中するように学ぶことは、肉体的な生存に関わる問題だ。

 胎児には、例えば、気温の変化や天気もちゃんとわかっている。また、胎児はテレパシーで動物達や他の人々と意思の伝達をしている。そして、また別のレベルで、植物や、それに類する数々の「意識達」と一種のコミュニケーションをとっている。植物達は(たとえば)堕胎に対して極めて鋭い反応を示すだろう。しかし、胎児は(自分の生まれる)家庭のペットが死んだ場合にも反応するだろうし、妊娠6ヶ月に達するずっと前に、家族間の無意識的な心の関係も承知していることだろう。

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