Seth Network Japan
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胎児 - 1

セス資料
セッション 503

マサ 訳

 1969 年 9 月 24 日(水)午後 9 時 32 分

(約2ページ分の個人的な題材があったが、ここでは割愛した)

(ジェーンの ESP クラスのメンバー、スー・マリンズは結婚して「スー・ワトキンス」になったのだが、彼女は昨夜、できたらセスに答えてほしいと、質問を3つ置いていった。最初の質問はこうだ。「わたしは今、妊娠しているのですが、今のわたしが意識を肉体の外に投射(体外離脱)すると、わたしの幽体(アストラル・ボディー)も妊娠した状態になっているのでしょうか?つまり、幽体というものは胎児の幽体に相当するものを宿しているのでしょうか、それとも、胎児の幽体は胎児の肉体の中にとどまるのでしょうか?」

 ここで僕はセスに訊いてみた。

 「スーの最初の質問、胎児の幽体について、少し話してもらえますか?」

 ジェーンはスーの質問を前もって読んでいたが、今夜それについて僕が尋ねることになるとは知らなかった)

 胎児には胎児自身の幽体としての姿がある。さて、その幽体は、この人生に生まれてくるであろう人物のものであり、その「前世」に生きていた人物のものではない。これに関しては込み入った点がたくさんあるので大まかに説明してみようと思う。

 胎児は大量のエネルギーと繋(つな)がっている。人生において、これほど目的にかなった形でこれだけ多くのエネルギーがここまで効率的に導かれる時は他にない。この、正に宇宙的な比率で蓄えられたエネルギーがあってこそ、物質世界へと突き抜ける突破口の口火を切ることが可能になるのだ。その(生まれてくる)パーソナリティーは文字どおり際限のない量のデータを暇(いとま)なく変換している。この作業の多くは妊娠3ヶ月が経過する頃には完了している。新しいデータが胎児とその肉体構造を形作るのと歩調を合わせるように、前世のパーソナリティーは、この過程から手を引き始めなくてはならない。その(前世の)パーソナリティーは、しばしの間、この(誕生の)プロセスに加わるが、自ら新しい人間になるわけではないのだ。

 前世のパーソナリティーは、この新しい人物を作る手伝いをするが、その後、自ら退(しりぞ)かなくてはならない。新しい「単体」の自己は自由でなくてはいけないのだ。本来ならば特定の要求が課されるべきであったとしても、そうした要求が新しい自己を妨害するようなことがあってはならないわけだ。その新しい人間の中には自分自身の過去世の記憶が深く埋もれている。しかし、その「前回」の人生における自己の個人的な意識が「今回」の新しい自分の上に重ねられるようなことがあってはならない。小さな幽体の姿をした、その新しいパーソナリティーは、実際、自己本体(エンティティー)の他の部分(他のパーソナリティー達)を訪ねて交流もする。レッスンのようなものをしてもらいさえするが、そのパーソナリティーは、すでに立派な独自の自己だ。

 (「たとえば、スーが投射すると、その胎児の自己も投射するんですか?」)

 することもあるだろうし、しないこともあるだろう。しなくてはならないということはない。スーが幽体としてどこかにいる間、胎児の方はすっかり別の領域に投射していることもあり得る。しかし、この時点で二人の間にはとても強い繋がりがある。より深いレベルで互いの位置がわかっているのだ。意識していないにも拘(かかわ)らず、母親は子供の居場所を知っているのだ。母親が子供の後に離脱して「出かけ」、子供を「連れ戻す」ことだってあり得る。

 自然な流産は、新しいパーソナリティーが新しい姿をうまく形作れず、アドバイスを求めて他のパーソナリティーの許(もと)へと投射し、(元の肉体に)戻るなと勧められて起こることが多い。