Seth Network Japan
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 人によっては(誕生日時よりも)他の蓋然性から、もっと強い影響を受けたり、敏感に反応したりする場合もある。それは、ありふれた占星術の「チャート」などには、そもそも現れることのない蓋然性だ。

 こうしたチャートは1つの路線上にある蓋然性のみを強調し、他の蓋然性はないがしろにしてしまう。そうなると、そのチャートに基づいた解釈は、同一の蓋然的な誕生環境を選んだ者達にとっては意味を為すものの、君達の表現で言う、それと同じ時に生まれたとしても、蓋然性の優先順位が違う者達にとっては、何の価値もないことになるだろう。

 (10 時 17 分)さて、少し待ってくれ…。(肉体の)細胞には数々の蓋然的な活動がわかっている。そのうえで、細胞は君達が(蓋然性の中から)選んだ体系の中で肉体を維持しているわけだ。心も然(しか)り。細胞と同じように働き、数多くの様々な蓋然性の中に自らの「種を蒔く」のだ。特に、ここで言っているのは、他の物理的な蓋然性であり、言い換えれば、君達の知っている世界に対する代替世界のことだ。君達と共に生きている人々、すなわち、同時代の人々が全て同じ蓋然性の体系に属しているわけではない。この意味で、君達は、多くの蓋然的な現実界からやってきた人々が合流して入り交じる「集会場」にいるようなものだ。同じ時空環境で一時的に特定の部分に「相席」することを了承しているわけだ。 

 君達は体験の中の類似点にばかり目を向け、相違点を軽んじるので、いわゆる「体験」の中にある、より大きな違いをそっくり見落としてしまうことがよくある。例えば、最近見聞した歴史的な出来事など、特定の場所と時間に起こった出来事について他人と意見が合わない場合、記憶とは、そもそも、あやふやなものだと君達は考えるわけだ。そして、出来事についての解釈こそ変わって当然だが、起こった特定の出来事は確固たるものであり、それ自体が変わることなどはないと考える。しかし、(実際は)その出来事自体、全くもって、そこまで堅固なものではないのだ。君達は一つの蓋然的な出来事を受け入れるわけだが、自分以外の者は、その出来事の(異なる)一つのバージョンを体験し、それがその本人の感じた現実となるかもしれないということだ。

 実際のところ、こうした出来事は随分と違ったものになり得る。そして、解釈がそれだけ異なることは(出来事自体に)それだけの変化の幅があることを至極まともに物語っている。君達の表現で言うなら、一つの出来事は幾多の様々なやり方で起こり得るということだ。

 こういったことは全て、君達が自分自身の想念の本質を問うこと、そして、自分が遭遇するように見える、そうした出来事の現実界を探索することを始めない限りは、(単なる)ご立派な理論であり、秘教的かもしれないが、まず何の役にも立たないだろう。