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理想家と狂信者 2

 確証もないのに、自分は宇宙からの生物なり地球上の敵なり、あるいは邪悪な霊的パワーなりに追われているような気がしてならない男または女がいるとしよう。この大統領は正にそんな憐(あわ)れな、勘違いした人間と同じように被害妄想を抱いていた。こういった気の毒な人々は数々の出来事から成る論理的な帰結を自分自身に対して組み立てあげようとする。それは、全く害のない出会いが「恐るべき脅威」に変貌(へんぼう)してしまうような形でだ(「一見、何でもない、この選択が、取り返しのつかない結果へと導くのだ」というような、恐怖心をあおる論法)。彼等はその怖れを外側に向かって投影することになる。そしてついには、自分が出会う全ての人々の中にその怖れが存在するように見えるまでに至るのだ。

 他の殆どの人々から見れば、こんな偏執狂的なものの見方は集合的な事実に基づいたものでないことなど明らかだ。(休止)しかし、君達の当時の大統領は膨大な量の情報を利用できたので、自分の政策に賛同しない多数の集団や組織のことを知っていた。別の状況の話だが、警察なり FBI なりに追われているという被害妄想を抱いている者は、パトカーを見かけると、その(追われているという)確信を深めるものだ。大統領は、そうした情報を、その「パトカー」と同じように捉えていたのだ。彼は脅(おびや)かされていると感じた。それも自分個人だけではない。彼は自分の中で「善」のために闘ってきた。(熱心な口調で)その「善」までもが危険に曝(さら)されているというわけだ。そしてまた、理想化された善はあまりにも遠く、到達するのは難しすぎた。よって、如何なる手段も正当化された。内閣などで大統領に従った者達には、程度の差こそあれ同じような特徴があった。

 (休止)独善的な者ほど狂信的な人間はいないし、独りよがりな者ほど残酷になれる人間はいない。こうした者達にとっては、この手の(ウォーターゲートのような)エピソードの後で「改宗」するのはお安い御用だ。もう一度「善」の側に整列し、「共同体のパワー」を探し求め、政府ではなく教会へと向かい、何らかの形で神の声を聴けばいい。

 では、善意の理想家は、自分の善良な意図が実現するかどうか、どうしたら知ることができるだろうか?あるいは彼女は、この善良な意図が実際のところ、破滅的な状態へと通じているのか、どうやったらわかるのか?その理想家は、いつ狂信者へと変身するのか?

 こう考えてみよう。もし誰かが「快楽は間違っている。寛容とは弱さである」と語り、君達に対して、これこれの教義にただ黙って従うようにと告げ、理想化された善へと向かうには、それが唯一の正しい道だと言ったとしたら、君達はまず、狂信者を相手にしていると考えていい。また、平和のために人を殺すよう命じられたとしたら、その(殺人を命じた)相手は平和や正義というものを理解していない。君達の自由意思を放棄するよう告げられたとしたら、君達の拘(かか)わっている相手は狂信者だ。