Seth Network Japan
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自己本体のイメージ

個人的現実の本質
セッション 637 1973/01/31

マサ 訳

 君達が「自分」と捉えている自己が消滅することは決してない。ロウソクの火のように消えてしまうことも、至福に満ちて「自分」がわからなくなり、「涅槃(ねはん)」などに飲み込まれてしまうこともないのだ。(涅槃という点で言うなら)君達は今でも立派に涅槃の一部だし、これからもそうだ。

 君達の身体と、その身体を構成している細胞については、ある程度、話をした(たとえば、第7章のセッション 632 など)。今、君達の肉体的な姿を形作っている細胞達が全て同時に存在しているのは明らかだろう。(ここで)それと同じように、自分には、数多くの人生が(同時に)進行していると想像してごらん。すると、君達には、細胞達の代わりに数々の「自己達」があることになる。私は、細胞の一つ一つに独自の記憶があるという話をしたが、自己に備わった記憶となれば、もちろん、それよりも次元が遥かに大きくなる。

 より大きな自分 ── それを「自己本体(エンティティー)」と呼んでもいい ── を想像してみるんだ。それは、君達の肉体的な構造と同じくらい「本物」の精神的な構造をしているが、(細胞ではなく)多数の自己からできている。君達の身体の中では、そのスペースと境界の範囲内で、細胞の一つ一つに自分の場所があるわけだが、自己本体の中では、それぞれの自己に自分の“時間”と活動範囲があり、自己達にも自分の「次元」がわかっている。肉体は(そうした)時間の流れに従う構造をしている。もっとも、その肉体の一部である細胞達には、君達の意識が活動の場としている次元全体のことがわかっているわけではない。細胞達は、三次元体験の中にある要素でさえも全て知覚するわけではないのだ。それでも、君達の現在の意識は ── 細胞より遙かに高等に見えるかもしれないが ── 物理的に細胞レベルの意識の上に成り立っている。

 同じように、自己本体、または、君達がその一部である“より大きな”精神的構造は、君達が知っているよりも遙かに広い次元にわたる活動を知っている。しかし、これもまた同じように、その、より高等な意識は、君達の意識の上に成り立っているのだ。一方は他方に欠かせないわけだ。

 物質的な生活の中では、神経の末端からメッセージが放たれていく(伝達物質が放出され、隣の神経の受容体へと情報が伝達されていく)過程で一定の間(ま)がある。別の意味で、そして、別のレベルで、この間は、人間の意識が動物達の意識から生じた際に起こった“省察の一時(せいさつのひととき。moment of reflection”に表れていた。ここで、私は人間が動物達から生じたとは言っていないことに注意するように。