Seth Network Japan
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個人的現実の本質

自己本体のイメージ

個人的現実の本質
セッション 637 1973/01/31

マサ 訳

 君達が「自分」と捉えている自己が消滅することは決してない。ロウソクの火のように消えてしまうことも、至福に満ちて「自分」がわからなくなり、「涅槃(ねはん)」などに飲み込まれてしまうこともないのだ。(涅槃という点で言うなら)君達は今でも立派に涅槃の一部だし、これからもそうだ。

 君達の身体と、その身体を構成している細胞については、ある程度、話をした(たとえば、第7章のセッション 632 など)。今、君達の肉体的な姿を形作っている細胞達が全て同時に存在しているのは明らかだろう。(ここで)それと同じように、自分には、数多くの人生が(同時に)進行していると想像してごらん。すると、君達には、細胞達の代わりに数々の「自己達」があることになる。私は、細胞の一つ一つに独自の記憶があるという話をしたが、自己に備わった記憶となれば、もちろん、それよりも次元が遥かに大きくなる。

白衣を着た呪術師

個人的現実の本質
セッション 659

rinnko 訳

…充分理解できますし、また深く同情もするのですが、西洋医学はある意味で、最も文明レベルの低い暗示(の方法)であることを述べさせてください。高いレベルの教育を受けた西洋の医師は、未開人の呪術師によって、鶏がいけにえにされるのを見て、幻滅と恐怖の感情にとらわれます。しかし女性患者が癌のために乳房をいけにえにする事は、科学的で不可避なことと考えています。西洋医学の医師はただ単に他に解決策を知らないだけなのです。また残念なことに患者も同様なのです。

 現代医学の医師は、非常に当惑しながらでも、患者に死期が近いこと、病状の回復が望み薄であることを告げます。けれど、呪術師によってのろいをかけられて、そのようになったと患者が考えると、医師は即座に軽蔑と嫌悪の感情を持ちます。

現実の変え方について

個人的現実の本質
セッション 615 1972/09/18

マサ 訳

 意識は、放っておかれれば(他からの影響がなければ)一つのまとまりとして活動する。もっとも、まとまりといっても絶えず変化しているわけだが。意識的な頭脳は(自己の)内側と外側、両方からの声に耳を傾けながら観念を形作ることができる。自己が物質的、非物質的な源泉から得た数々の知識と結びつく観念だ。そうやって観念が形作られると、いろいろな活動をしていく中で、特に努力をしなくとも自然かつ簡単に観念をチェックすることになる。しかし、一度(ひとたび)、その意識的な頭脳が、いくつもの矛盾した観念を受け入れてきたという(ことに気づいた)場合は、それらを整理するために思い切った企てが必要だ。

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