Seth Network Japan
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 (9 時 25 分)「大いなる期待」は基本的に(生物学的な発達の)程度とは全く関係ない。草の葉でも大いなる期待に満たされているのだ。大いなる期待は現実界の性質に対する信頼の上に成り立っている。それは自然自体に対する信頼、自分に与えられた生命に対する信頼であり、(発達)程度には関係ない。例えば、子供達はみんな、そうした期待と共に生まれてくるのだ。童話は実際、一種の「埋もれた知識」を伝えていることが ── 常にというわけではないが ── よくある。シンデレラに関する論考(「個人、そして群衆現象の本質」、第 827 セッションを参照)で採り上げたとおりだ。そして、最も素晴らしい部類に入る童話は、常に、大いなる期待が成功を勝ち取る筋書きになっている。物質的な世界の不運な要素は大いなる期待によって一瞬のうちに変えてしまうことができる、というものだ。

 「そんなものは全て戯言(たわごと)だ」と君達の教育は言う。世界は物理的な側面によってのみ定められるのだと。「パワー」と言えば、君達は例えば、核エネルギーなり太陽エネルギーなりを思い浮かべるかもしれないが、(本当の)とは、人間の頭脳の中にあって、そういったパワー、エネルギー、力を使うことを可能たらしめる創造的なエネルギーそのものだ。

 (熱のこもった口調で)本当のパワーとは、まだ存在しないものを見据えようとする想像力にある。その想像力は大いなる期待に裏打ちされ、蓋然性の範囲内にある大抵の現実を引き起こすことができるのだ。起こり得る全てのバージョンにわたる 1980 年が起こるだろう。そして、君達が決めた(選んだ)バージョンの 1980 年以外は全て、君達の意識的な体験の背景で、心理的には端役を演ずるに留まるだろう。しかし、これらの可能なバージョンは全て、何らかの形で繋がっているわけだ。

 君達の社会においては日の目を見るまでに至ったことのない、大事なレッスンがある。それは、意志の方向性を定めて、最大限に役立たせることだ。それには、大いなる期待、そして、フレームワーク1と2の活動の知識をも組み合わせるのだが、やり方はとても単純なものだ。何かが欲しいとする。しばらくの間、それを意識的に思い描いてみるんだ。それが蓋然性の最前列、君達のいる実際の世界にまで近づいてくる様子を意識的にイメージしてみるわけだ。そうしたら、(今度は)それを小石のようにポトンとフレームワーク2の中へ落とし、2週間は、それをできるだけ忘れてしまうようにする。これを一定のリズム(間隔)で行うのだ。