Seth Network Japan
Seth Network Japan

蓋然性

多重人物性 - 3

 このような系における概念はこれらの障壁を崩す助けとなることができる。そうすると(障壁が崩れてくると)、意識の層がいくつも同時に存在するようになる。君達がまだ知らない層は君達自身のものより進歩、発展しているように見える。(しかし)君達は今、それらの一部なのだ。人物性と認識についての観念を拡張し始めれば、君達はそれらを知ることができる。時間という点で見れば、君達は地上での体験において何度も生まれるわけであり、君達にはいくつもの肉体がある。君達の意識はそれら数々の人生に跨がっている。現在、君達の体内にある分子や原子にさえ、これら他の(実際、同時に存在する)形態についての符号化された知識coded knowledgeが含まれているのだ。これらの意識子は物理的な物質全ての中にあり、それら独自の記憶を備えている。従って、君達は自らの多重人物性を生物学的にも心的にも知っていることになる。

多重人物性 - 2

 あるレベルから別のレベルへ進歩してゆくとされている「レベル」の論議には拘(かか)わりたくない。そうした議論は全て、単独人物性one-personhood、連なって流れる時間、限定された型の「魂」という君達の発想に基づいている。赤い花もあれば黄色や紫色の花もある。どの花が他よりも進歩しているというわけではない。それぞれ異なるのだ。

 これらの単位(意識子)は結びついて様々な種類の意識形態gestalts of consciousnessになる。ある形態が他の形態よりも進歩していると言うのは基本的に正確ではない。例えば、ある花の花びらはその花の根っこよりも発達しているわけではない。地面にいるアリにしてみれば花びらは根っこや茎よりもずっと上にあるように見えるかもしれないが、アリ達は充分に賢いので「花びらの方が根っこよりも優れているに違いない」と考えるようなことはない。

多重人物性 - 1

多重人物性

「知られざる」現実界 第1巻
セッション 683 1974/02/18

マサ 訳

 「自分」という構造は内的な自己から生じる。それは様々な興味、能力、原動力によって形成され、集中する分野が選ばれる。一人の人間が素晴らしく聡明であり、立派なスポーツマンでもあり、感情的にも精神的にも深い理解力があるとしたら、それは人類の生み出した理想のタイプであるかのように見えるかもしれない。しかし、そんな人間は滅多(めった)にいるものではない。

ページ

* 閲覧画面の幅および閲覧デバイスによっては、上に表示されるページ ボタンが減ります。ボタンの表示が不適切になったり、全体のページ数がわかりにくくなったりすることがありますが、ご了承ください。
Subscribe to RSS - 蓋然性