Seth Network Japan
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 あるレベルから別のレベルへ進歩してゆくとされている「レベル」の論議には拘(かか)わりたくない。そうした議論は全て、単独人物性one-personhood、連なって流れる時間、限定された型の「魂」という君達の発想に基づいている。赤い花もあれば黄色や紫色の花もある。どの花が他よりも進歩しているというわけではない。それぞれ異なるのだ。

 これらの単位(意識子)は結びついて様々な種類の意識形態gestalts of consciousnessになる。ある形態が他の形態よりも進歩していると言うのは基本的に正確ではない。例えば、ある花の花びらはその花の根っこよりも発達しているわけではない。地面にいるアリにしてみれば花びらは根っこや茎よりもずっと上にあるように見えるかもしれないが、アリ達は充分に賢いので「花びらの方が根っこよりも優れているに違いない」と考えるようなことはない。

 さて、意識は全ての方向に花を咲かせるConsciousness flowers out in all directions

 (10 時 37 分に電話がかかってきて中断することになった。それは長距離電話で、あるテレビ局のプロデューサーからジェーンへの出演依頼だった。僕は手紙に(書類の形で依頼)してくれと彼に頼んだ。電話を切るとジェーンが言った。「わたし、まだ半分(トランス状態に)入ってるの」。彼女はしばらく静かにすわっていたが、やがてセッションを再開した)

 その意識の花がとる(進む)全ての方向はよい(どんな方向に進もうとも、それはよい方向である)。その花は球根の中に自分が生きていることを知っている。ただ、球根が茎や葉を出し、花を咲かせるまでには「時間」がかかる。花は球根より優れているわけではない。球根より進歩しているわけでさえもない。球根の具現化の一つなのだ。そういう訳で、君達にしてみれば、そこには進歩なり、順に並んだ発展段階なりがあって、その中からより成熟した包括的な自己が現れてくるように見えるかもしれない。(しかし)君達は今、それらの自己達の一部なのだ。花びらが球根の一部であるのと同じだ。その時間的な期間には君達の系においてのみ意味がある。

 「一つの魂に一つの自己」という君達の発想は重要性と選択性を形成する(この概念は観念体系の中でも重要なものであり、認識や判断に影響する)。それが、君達の現在の自己と同じくらい「今、ここ」にある、これら他の現実界が君達の目に入らないようにしてしまうのだ。君達の物理的な存在を単独で形作っている意識子units of consciousnessには、こうしたより大きな意義がわかっているのだが、君達の限定された概念がそれを不明瞭にしてしまうわけだ(次のページへ続く)