Seth Network Japan
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第二の思春期

精神の本質。その人間的表現
セッション 770、1976/04/05

マサ 訳

 思春期は特定の時期にやってくる。それは奥深いメカニズムによって引き起こされるのだが、その仕組みは、自然界の状態、人類の状況、そして、ある意味で君達が自然界に「転嫁」した文化的な観念に関連している。もっとも、別の意味では、君達の文化的な環境も勿論、自然なものであり、思春期の訪れる時期もそれに応じて変わる。そして、その思春期が過ぎると父親、母親になることができ、やがては、その時期も終わる時が来る。この「性的活動期(成熟期)」と呼ばれる期間には、人格の中でも、より広い範囲が、紋切り型の性的な役割にきつく押し込まれる。そして、その役割にそぐわない面は悉(ことごと)く無視されるか否定されてしまう。事実としては、そんな役割にぴったりと合う者など殆どいないし、役割自体が大方、月並みな意味で言う「宗教」に基づいた解釈の結果だ。また、科学者達も(先入観から)すっかり独立している(客観的である)ように見えるが、往々にして、単に無意識レベルで抱えた感情的な観念に対して知的に受け入れやすい新たな理由を見つけたに過ぎないということが多い。

 (人生には)体験する者がごく稀にしかいない、生物学的な期間がある。それは老人や「第二の幼少期」(高齢期)に関する「悪趣味なジョーク」で戯れ言(ざれごと)として示唆されるものだ。(この期間に見られる)この特殊な生物的潜在能力は極めて稀な場合にしか現れない。一つには、それが現在では、およそ望ましいものとはされない「芸当」を意味するからだ。肉体自身には、高齢に達しても、自らをすっかり再生できる能力がある。実際のところ、ごく正当な「第二の思春期」を迎えることは可能だ。その期間、男性の精子はピチピチと活力に溢れ、女性の子宮は柔軟になり、子を宿せるようになる。こうした結果、子供が生まれたという話が聖書には、いくつかあったように思う。

 こうした仕組みは、人口過剰の時代であれば、とても願わしいものとは言えないが、それは人類にとって、現時点では「休止状態」になっている部分であり、自然が備えている能力を表している。君達の世界には(周囲の文明から)孤立して生きている民族が、いくつかの地域にいる。彼等は百歳を超えても元気で逞しいが、それは彼等が君達の観念に触れたことがないからだ。また、彼等が知り、理解している世界と共に感じ、その世界と調和して生きているからだ。そうすると、時に、こうした第二の思春期が起こり、子供が生まれることがある。小さな集団が自分達の生物的な(種としての)立場を維持しようとするのに役立つわけだ。

 (10 時 18 分)第二の思春期は通常、性的に第一の思春期と同じ指向性(異性か同性か)に従うが、常にそうだとは限らない。新しい結びつき方は最初の思春期とは逆になることも充分にあり得る。もっとも、それはさらに稀なことであり、それはそれで、その民族が自身を守ることになる。