Seth Network Japan
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聖なる排せつ物

「知られざる」現実界 第2巻 補遺 24
ESP クラス セッション 1974/12/10(セッション 725)

マサ 訳

 (セスはセッション 725 で僕たちの生物的な本質に備わっている精神的な側面を論じた。そのときの注釈 4 に簡単な抜粋を紹介してあるが、その前の晩に開かれた ESP クラスで、彼は「自己」というものの「到達範囲」は真に無限であることを話した。

 セスはそこで実際的なわかりやすい言葉を使って僕たちの生物学的な本質を説明してくれた。彼の話はすべて、とてもおかしく挑発的でもあると同時に深みがあった。僕にはわかる。セスの話し方はすぐに忘れられてしまうようなものではないと。それは、静かで上品な「スピリット・ガイド」になじんでいる人たちにとっては、びっくりするようなものでもある。

 その晩、それ(セスが上記の説明をする)よりも前のことだが、クラスのメンバーたちは、ジェーンに代わって返事を書いている手紙のいくつかについて話をしていた(ロバーツには読者からの手紙が大量に届くので、ESP クラスの参加者たちは一時期、ロバーツの代わりに手分けして返事を書いていた)。ある青年が別のことに関連して「クソみてえな気分だぜ」と言った。それをセスが耳にしたに違いない。彼はセッションの始め、クラスの生徒たちに向かって、手紙を書いた人々が尋ねてきた質問に答えようとすることによって学べるのだという話をした。そのあと、かなり強い口調で言った)

 さて、ここにいる君達の多くは「クソ(shit)」という言葉を使う。自分に対して品位を落とすような形で用いるわけだ。そして、こう考える。「俺はクソまみれだ(何もかもひどい状態だ)」と。しかし、君達の地球という物理的な現実界、偉大で見事な現実界は、どこから生じたのだろうか?大便はなぜ、神聖であり、祝福された、輝かしいものだとみなされないのか?君達は不幸なことに「クソ」を「良い」とは正反対の言葉だと思っている。そして、その言葉について思い巡らしたり、その言葉で遊んでみたりする時、君達は自分のことを、よくても「子供じみている」と考え、ひどい場合には「邪悪だ」と(さえ)考える。

 子供が、例えば3歳の子だとしよう、(便器に)腰掛ける。その子はお尻に指を突っ込んで、ウンコが下がってくる温かい感覚を感じている。ウンコとはいいものだと、その子にはわかるのだ。だから、その子を信用しなさい!

 魂とは何も書かれていない真っ白な壁(のようなもの)だ、と君達は考えている。だから、神聖なものに対する冒涜(ぼうとく)とは、その壁を「クソ」で汚(けが)すことだ、というのが君達の見解だ。君達は、その「クソ」と魂が一つであることを理解していない。生物的なことは精神的であるということもだ。それから、繰り返しになるが ── 私の(よく例に出す)家庭的な概念図を許してもらえるなら ── 花達は地球のクソから成長してくるものだということも君達にはわかっていない。真の共有世界では、この生命のあらゆるものが地球に帰り、費やされ、新たな生命の中にまた立ち上がる。形こそ常に変わるが、それは破壊されたり絶やされたりすることは決してないのだ。(次のページへ続く)