Seth Network Japan
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 さて、君達がこうした言葉、こうした意味に対して尻込みする時は、なぜ尻込みするのだろうか?それは君達が自分という存在の生理、あるいは肉体の中における魂の完全性を信頼していないからだ。君達は人間という生き物だ。君達(の肉体)は地球の素材からできている。そして、その星達からの塵(ちり。ここでいう「星達からの塵」は地球を指す)が、堆積したクソの姿になったのだ。地球の生物達、動物達からの温かい堆積物だ。そのクソが花々や大地を肥やし、その大地の一部になっているということだ。

 それ故、誰であろうが、これ(クソ)に対して反感を抱いたり対立したりするとはどういうことだ?(ここでセスの声は本当にパワフルで断固とした調子だった。彼は、ある生徒(クラスの参加者)を見つめて言った)

 親愛なる若き友よ、これはべつに「クソ」という言葉を嫌っている人々のいるところへ君がその言葉を口にしながら歩いて回り、彼らに(クラスの参加者たちに向かってユーモアたっぷりに)「ファック・ユー」と言わなくてはならないという意味ではない。今のは、私がこの言葉(ファック)を使うのを彼が録音したがっていたから言ったことだ。繰り返すが、これは、他の人々に不快感を与えるためにこうした言葉を使うべきだという意味ではない(「クソ」自体はポジティブなものだが、だからといってわざわざ他の人たちを不愉快にすることはないということ)

 君達の魂と肉体は固く結ばれている。その片方がもう片方よりも「いい」ということはない。どちらもいいのだ。どちらもそこにあり、君達はその両方であるのだ。君達の表現で言うなら、地球が今日まで継承してきたものは古(いにしえ)から続いているが、それはいつの時も新しい。君達は(ロバーツ宛の手紙に対する返事の)手紙を書く時、知性とウィットを使う。しかし、1日1回か2回、クソをしなかったら、手紙を書くどころの話ではなくなるだろう!

 (クラスのメンバーたちはもちろん笑った。そこでセスはこう言った)それでも、君達が(そうやって)笑うのは、君達がまだ、その言葉(の指すもの)を自分よりも下に見ているからだ。また、君達はせせこましかったり、利口ぶっていたりするからだ。あるいは、のこともそうだと思っているかもしれないな。これだけ自由闊達(かったつ)にしゃべっているのだから。

 私が「魂」と言う時、君達はクスクス笑ったりしない。

 (セスは常々、僕たちがあまりにも独善的になってしまう(「これが正しいのだ」とひとりよがりになってしまう)ことに対して警告してきた。また、沈黙、真面目さ、あるいは信心深いことをそのまま「よいこと」あるいは「真実」であると見なしてしまうことも戒めてきた。彼は何よりも、物理的な世界の「正しさ」と豊かさを力説してきた。セッション 725 では「クソ」という言葉が使われることは一切なかったが、セスは同じ概念をもちろん見事に、誰もが納得できるように解説してくれた。もっとも、人々に直接、向かい合っているときのセスはストレート(単刀直入)であり、洞察力が恐ろしく鋭い)