Seth Network Japan
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身体

セス・ブックからの抜粋:ウィルス

「個人、そして群衆現象の本質」セッション 801

ミスターM 訳

 以前にお話ししたセスの引用文をお送りします。セスはここでもウィルスについて語っていますが、病気やその他の、われわれが一般的に忌むべきものと考える出来事も必要性があって起きているのであり、より大きな観点から理解することの重要性を説いています。「生きるということ」だけではなく、「死ぬということ」の意味にも正面から向き合わずには、こうしたことを理解することはままならないでしょう。


 『伝染病に関する疑問には、生物学的な観点だけから答えを得ることはできない。伝染病には多くの人の、広範囲にわたって影響力を及ぼす心理的態度が関わっており、関係する人すべての必要性と願望を満たしているのである。その必要性は、あなたがたの観点からすると、生物学的な結果とは切り離すことのできない、宗教的、心理的、文化的現実の枠組みの中で生じるのだ。・・・

 死は種全体の目的を果たすばかりでなく、個人の目的にも適っている。求められずに訪れる死というものはないからだ。

多重人物性 - 3

 このような系における概念はこれらの障壁を崩す助けとなることができる。そうすると(障壁が崩れてくると)、意識の層がいくつも同時に存在するようになる。君達がまだ知らない層は君達自身のものより進歩、発展しているように見える。(しかし)君達は今、それらの一部なのだ。人物性と認識についての観念を拡張し始めれば、君達はそれらを知ることができる。時間という点で見れば、君達は地上での体験において何度も生まれるわけであり、君達にはいくつもの肉体がある。君達の意識はそれら数々の人生に跨がっている。現在、君達の体内にある分子や原子にさえ、これら他の(実際、同時に存在する)形態についての符号化された知識coded knowledgeが含まれているのだ。これらの意識子は物理的な物質全ての中にあり、それら独自の記憶を備えている。従って、君達は自らの多重人物性を生物学的にも心的にも知っていることになる。

多重人物性 - 2

 あるレベルから別のレベルへ進歩してゆくとされている「レベル」の論議には拘(かか)わりたくない。そうした議論は全て、単独人物性one-personhood、連なって流れる時間、限定された型の「魂」という君達の発想に基づいている。赤い花もあれば黄色や紫色の花もある。どの花が他よりも進歩しているというわけではない。それぞれ異なるのだ。

 これらの単位(意識子)は結びついて様々な種類の意識形態gestalts of consciousnessになる。ある形態が他の形態よりも進歩していると言うのは基本的に正確ではない。例えば、ある花の花びらはその花の根っこよりも発達しているわけではない。地面にいるアリにしてみれば花びらは根っこや茎よりもずっと上にあるように見えるかもしれないが、アリ達は充分に賢いので「花びらの方が根っこよりも優れているに違いない」と考えるようなことはない。

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