Seth Network Japan
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蓋然性

蓋然的な人生 - 1

蓋然的な人生

「知られざる」現実界 第1巻
セッション 680

マサ 訳

 (9 時 44 分)少し待ってくれ…。(バッツに向かって)君の両親は、正確に言うなら、同じ現実界を二人で共有していたわけでは全くない。これは珍しいことに思えるかもしれないが(実際は)そうでもないのだ。二人は、それぞれの現実界の間にある場所で出会い、関係を築いた。(とは言っても)二人が数々の出来事に対する相手の解釈に同意できなかったなどということではなく、(それぞれの体験する)出来事自体が違っていたのだ。

蓋然性 - 2

 (9 時 25 分)「大いなる期待」は基本的に(生物学的な発達の)程度とは全く関係ない。草の葉でも大いなる期待に満たされているのだ。大いなる期待は現実界の性質に対する信頼の上に成り立っている。それは自然自体に対する信頼、自分に与えられた生命に対する信頼であり、(発達)程度には関係ない。例えば、子供達はみんな、そうした期待と共に生まれてくるのだ。童話は実際、一種の「埋もれた知識」を伝えていることが ── 常にというわけではないが ── よくある。シンデレラに関する論考(「個人、そして群衆現象の本質」、第 827 セッションを参照)で採り上げたとおりだ。そして、最も素晴らしい部類に入る童話は、常に、大いなる期待が成功を勝ち取る筋書きになっている。物質的な世界の不運な要素は大いなる期待によって一瞬のうちに変えてしまうことができる、というものだ。

蓋然性 - 1

蓋然性

夢、「進化」、価値の達成 第1巻
セッション 891、1979/12/26

マサ 訳

 (ユーモラスに)今夜のテーマは「大いなる期待(Great Expectations)」としよう ──(チャールズ)ディッケンズの本(“Great Expectation”。邦題は「大いなる遺産」)に準(なぞら)えているわけだ。

 さて、1980 年という年は、その潜在的な全てのバージョン(バリエーション)が今、この時に存在している。もちろん、集団的(社会的)な出来事に関係した話なので(今年までとは)すっかり違った年になることはない。それは、この地球上に住む、あらゆる人々にとって、ということだが、集団的に共有される 1980 年の世界は文字どおり無限に、言わば「身を潜め、待ち構えて」いる。

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