Seth Network Japan
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転生とカウンターパート

「知られざる」現実界 第2巻
セッション 721、1974/11/25

マサ 訳

 自己というものが、たった一つではなく数多(あまた)あることを直観的に実感する人は多いが、その実感は通常、転生に関わる形で表れる。自分が何世紀にも亘(わた)る時代を超え、生と死のドアをいくつも通り抜けて、異なる時空間へと旅をするように見えるわけだ。

 実際のところ、現実界の根本的な性質は夢の中の状態に極めてはっきりと表れている。どんな夜でも、そこでは自分がいくつもの役を同時に演じているのに気がつくことだろう。性別や社会的な地位、属する国や宗教、あるいは年齢が変わったりするものの、自分が自分であることはわかっている。

 最近、ジョーゼフは、転生上の他の人生に関連していると思われる一連の経験に自分が(考えを巡らせて)取り組んでいることに気づいた。しかし、心にひっかかることがあった。こういうことだ。彼は女性である自分を見た。黒人の女性だ。また、先月見たのは、奴隷船に乗ったローマ軍兵士としての自分だった。さらにそれ以前、彼は自分が「ネベネ」という名の男だったと確信できる経験をしていた。ありふれた意味での転生で考えれば、こうした話は全てすんなりと受け入れられたのだろうが、ジョーゼフには、ネベネとローマ軍兵士が全体としては同じ時代に存在していたように感じられた。また、その女性がどの時代の人なのかも定かではなかった(バッツ自身の解説では 18~19 世紀のジャマイカ)

 これらの経験には、どれもこれも、はっきりと感情的に揺さぶるものがあった。また、何とも言いようのない親近感が感じられたのも間違いない。(本来、ここで段落を変えるべき。)時間と空間は絶え間なく拡がり、どんな動作でも、その全ての蓋然性がいずれかの現実界で実現される。そして、自己本体(エンティティー)に備わった全ての潜在能力も現実となる。

 (11 時 11 分)少し待ってくれ…。君達は一度に複数の人生を生きている。言葉どおりの意味でだ。君達は、ただ自分に都合のいい単独の地点から自分達の生きている世紀を体験しているわけではないし、どの世紀であっても、そこに生きる人々は、君達が実感しているよりもずっと深く結び付いている。(気合いを込めた口調で)すなわち、君達は時空間の世界を、一つではなく、いくつもの視点から体験しているのだ。

 (11 時 13 分に休止)例えば、君達がアメリカなりヨーロッパなりで、ディナーに出された、食べ飽きるほど大量のステーキに辟易(へきえき)しているとしたら、その頃、世界のどこか別のところで、君達はひもじい思いをし、全く異なる視点から人生を体験してもいるだろう。君達は「人種」という表現を使うが、その点において意識というものがどう分布しているのか(どういうパーソナリティーがどういう人種として生まれてきているのか)は、わかっていない。君達には自分の「カウンターパート」(対応人物)がいるのだ。(次のページへ続く)