Seth Network Japan
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魔法的アプローチ

観念の使い方

魔法的アプローチ
セッション 1980/08/28

マサ 訳

 自分の集中するものが自分に返ってくる(たとえば、健康に集中すれば健康が、病気に集中すれば病気が返ってくるということ)。そして、その集中する範囲の中で専ら責任を担うのは自分自身の観念だ。

 魔法的な方法(の具体的な手順)などというものはない。あるのは君達がいつも使っている「自然な方法」だ。もっとも、君達は、見当はずれの憶測でしかないのに真実だと思い込み、その観念に基づいて、その方法を使うことも、ままあるわけだが。ちょっとした例を挙げてみよう。たまたま、ルバートが最後には自分で気づいたケースだが、自然な方法を示す格好の例だ。結果こそ、最初は好ましくなかったが、ルバートは、その自然な方法を見事に使った。また、この例は、ルバートの理解がより深まっていることも示している。

視力 - 2

 (家に帰った)僕はジェーンにその様子を伝えて言った。「きっと何か正しいことをしてるんだよ」。そして、セスは今夜のセッションのうち、プライベートの部分で、とても興味深いコメントをくれた。

 「君は自分の身体に備わっている生命力、弾力性、回復エネルギーを少し確認してみたかった。また、この人生において、自分がそれを選択する限り、芸術家として活動できるのだと自分を少し安心させたかったのだ。検眼士からの通知という一件を利用して、君は自分自身に対して実に見事なレッスンを与えた。というのも、君は実際、心の片隅では自分の眼が疲弊してきているのではないかと疑い、心配していたからだ。普通の状況であれば、こうした「症候」は「困難」のサインとして解釈される。しかし、君はそうではなく、「症候」とされているものは、眼鏡の度が強くなりすぎてきたサインであることを発見した。視力がただ保たれていたのではなく、極めて顕著に向上していたからだというわけだ。これは、ある程度、医学的に論証できる。

合理的な思考そして目標の達成 3(旧題:正しい集中の仕方)

 知性というものが適切に使われる場合、知性は目標を念頭に置き、それに向けて自動的に身体を動かす。そして、自らは知ることのない、他のレベルのコミュニケーションを自動的に呼び起こし、全ての力が一体となって目的達成に向けて働く。1つの的(まと)を仮の目標としてみよう。知性を適切に使う時、知性はその的をイメージし、イメージの上で、その的に到達する。それが物理的な的である場合、人は(弓と)矢を手に持って立ち、的のど真ん中に命中させることだけを考え、気持ちはそれに集中し、場合によっては、適切な位置に足を置くなど、習得した動作を行う。あとは、身体に備わった魔法的な性質が片付けてくれる。

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