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歴史

在るもの総て - 2 - 1

在るもの総て - 2

初期セッション集 第7巻 1967/01/11
セッション 311

マサ 訳

 こんばんは。
 (「こんばんは、セス」)

 さて、哲学的なことで少し、はっきりさせたい事柄がある。ルバートはそのいくつかについて、やや混乱した状態が続いているのだ。従来からあるキリスト教の神の概念は多くの点で都合のいいものだった。そして、その概念には真実も多く含まれている。いいかね、それは本当でありながら本当ではないわけだ。

 これがひとつの「象徴(シンボル)」であるということを君達が悟れば、そこで初めてより多くのものが見え始め、君達は理解に近づくことになる。理解から遠ざかるのではない。キリスト教的な意味でいう個人的な一人の神がいるわけではないが、それでも君達が在るもの総ての一部に接することができるのは事実だ。その部分は他の全てに優先して、まず君だけにぴったりと波長を合わせている。

善と悪 - 2

 その「善」とは、どれだけの損失の上に成り立つべきものなのか、また、誰にとっての善が基準となるべきなのか。人が善を追い求める行為は、宗教裁判(異端審問)やセーレムの魔女狩りが起こる一要因となった。そして、今日、政治の面で多くの人々は、ロシアが「敵国」であり、それ故、その国を破壊するためには、どんな手を使ってもよいと信じている。また、(アメリカ)合衆国内には、(いわゆる)「体制派」は中核に至るまで腐りきっているので、それを壊滅させるには、いかなる手段も正当化されると熱烈に信じている人々もいる。さらに一部の人々は、男女を問わず同性愛者とは「悪」であり、人として真の品性に欠ける(ひいては普通の敬意をもって扱われる必要はない)と信じている。こうしたことは全て、善に関する君達の観念が絡んだ価値判断だ。

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