Seth Network Japan
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自分の頭で考えながら読む

 セスは「自分の本を読んでそのまま鵜呑みにしてしまう人たちのために本を書いているわけではない。批判的な目でとらえることのできる人たちのためだ」という意味の話をしています。この「批判的な目で…」というのは、自分の頭できちんと考えながら読むということです。

 たとえば、次のような文章を見てみましょう。


 あなたがたの意識は脳の内側にかたく拘束されたまま、どこへも抜け出ることはないと信じていますか。あなたがたの意識の果ては、肉体という境界線までだと思いますか。もしあなたがそう考えておられるなら、それはみずからを過小評価していることになります。

(「セスは語る」p.40 ~ 41)


肉体の境界線

 こんなとき、「…ということは、意識は脳の中に閉じこめられているわけじゃないし、『肉体の境界線』=『意識の境界線』というわけでもない、ということか。じゃあ、実際はどうなんだろう?」というところまで(少なくとも)考えるのがポイントです。

 もう一歩進めて、次の文章ではどうでしょうか。


 あなたがた一人ひとりが、いま劇場よりはるかに大規模な芝居の製作に関わっています。そこでは、芝居が成立するための枠組みをなす一定の基本的前提に合意しています。その基本的前提とは何かと言うと、時間とは瞬間が次から次へと連なったものをさす、客観的世界は自身の創造性や知覚からは完全に独立して存在する、人は与えられた肉体のなかに束縛されている、人は時間と空間により制限されている、といったものです。

 あなたがたが同様な理由で受け入れている基本的前提には、さらに知覚のすべては体の感覚器官を通してなされる、言い換えれば、情報はすべて自己の外側からくるのであって内側から得られることはない、という概念も含まれます。こうしたことからもわかるように、あなたがたは当の芝居の演技に極力集中することを余儀なくされているのです。

(「セスは語る」p.113 ~ 114)


 ここでも同様に「時間とは瞬間が次から次へと連なったものではないし、客観的世界は自身の創造性や知覚からは完全に独立して存在するわけでもない。人は与えられた肉体のなかに束縛されているわけではないし、時間と空間によって制限されているわけでもない。そして、情報は自己の外側からも内側からも得られる、ということなんだな。じゃあ、本当はどういう風になっているんだろう?」というところまで踏み込むのがポイントです。

 もっとも、実際の「セスは語る」では、上記の文章が出てくる以前に、客観的世界にしても、時間や空間、あるいは自己の内側から得られる情報にしても、すでに何度も説明が出てきています。ですから、それらと結びつけて自分なりの図式を少しずつ描き足していくことが大事です。セスは同じことを違う言い方で何度も説明してくれます。その度に違う角度からスポットライトを当てていくように、世界観が少しずつ立体的につかめてくるでしょう。