Seth Network Japan
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自分に正面から向かい合う

 世の中には「自分」を基準にして生きている人もいれば「他人の目」を基準にしている人もいます。また、ほとんどの人はその間で情況に応じてバランスをとっています。

 たとえば、何人かでレストランに行ったとしましょう。自分を基準にしている人は素直に自分が欲しいものを注文します。他人の目が気になる人は「本当は○○が食べたいんだけど、ほかの人たちが××を頼んだから自分もそれにする」、「本当は○○で充分なんだけど、少し見栄を張って××を頼む」といった具合に「本来の自分」からずれた行動をとることになりがちです。これはもちろんバランス感覚の問題でもあって、ここでは善し悪しを判断しているわけではありません。

 大事なのは、基準が本来の自分からずれてしまうと、自分を見失ったり自分をごまかしたりすることになりやすいということです。たとえば、自分が誰かをうらやましいと思ったとします。しかし、そこで「自分があの人をうらやましいなんて思うわけがない」ことにしてしまったら、その先にある観念は当然、見えなくなってしまいます。

鏡

 これに対して、マイナスな要素まで含めて自分をそっくり認めることができれば、たとえば、こんな風に次のステップへと進んでいく可能性が広がります。「自分はあの人がうらやましい。でも、どうしてうらやましいんだろう? ── ああ、あの人は自分とほとんど同じ能力(境遇、年齢、容姿…)なのに、自分よりもずっといい地位(名声、仕事、収入、パートナー…)を手に入れたからだろう。あと、自分は周りの人から充分に評価されていないと思っているのも確かだな。そうか、自分は周りから正当な評価を受けてそれなりの地位(名声、収入…)が欲しいということか。じゃあ、それを実現するには具体的にどうしたらいいだろう?ちょっと、ポイントをリストアップしてみよう…」

 自分自身を正しく把握することは、物事を理解するうえでも欠かせません。実際にはわかっていないのにわかったことにしてしまったら、そこから先へは進めなくなります。本記事の最初のページで、物事を理解しているかどうかは

 正しい答えがおのずから出てくるかどうか

ですぐにわかるとお話ししました。もう少し補足すると

 科学や日常生活などの実例を挙げて自分の言葉で説明できること

も大事です。では、答えや実例が出てくるにしても、それが「正しい」かどうかはどう検証すればいいでしょうか?

 セスの本を読み進んでいき、「あらゆるチェックをしてみてどこにも矛盾が生じなければ」その理解は正しいと「仮定」していいでしょう。科学などの「基本的前提」と同じです。もっとも、自分の内側に目を向け、内なる自己に耳を傾ければ、きっと「仮定」以上のものが得られることでしょう。