エクササイズ - 蓋然性を感じる
「知られざる」現実界 第1巻
セッション 695
マサ 訳
さて、こんばんは ──
(「こんばんは、セス」)
── では口述だ。
練習要素2(数字は書籍内の通し番号)
読者一人一人に(今から紹介する)2つのエクササイズを試してもらいたい。まず、このページを読んでいる日に起きた出来事を何か選んでみること。(そして)選んだ出来事を、他に起こるかもしれなかった膨大な量の蓋然的な出来事の中から君が体験することになった一つとして眺めてみるんだ。
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「知られざる」現実界 第1巻
セッション 695
マサ 訳
さて、こんばんは ──
(「こんばんは、セス」)
── では口述だ。
練習要素2(数字は書籍内の通し番号)
読者一人一人に(今から紹介する)2つのエクササイズを試してもらいたい。まず、このページを読んでいる日に起きた出来事を何か選んでみること。(そして)選んだ出来事を、他に起こるかもしれなかった膨大な量の蓋然的な出来事の中から君が体験することになった一つとして眺めてみるんだ。
しかし、君達に合わせた表現で言うなら、君達は生きていようが死んでいようが夢を見ている。肉体があるという意味で「生きている」間、君達が「夢を見ている状態」だと考えているものは「意識がはっきりと覚醒した生活」とされているものの下に位置する形になる。そうなると、君達は常に「よそから見た」視点で夢を調べてみることになる。通常の起きている状態から見て具合がいいように見方が偏ってしまうわけだ。しかし、そうすると、夢の中の状況は歪(ゆが)んだ形で体験される結果になるし、(夢の中の様子が)はっきりしていないように見えることもよくある。覚醒した意識状態とは対照的なので、朧気(おぼろげ)に、あるいは不正確にしか見えなかったり、ピントが合っていないように見えたりすることもあり得る。(もっとも)こういったことはいつでも当てはまるわけではない。中には(はっきりと)目を見張った状態で見る夢があることも否定できないからだ。
「知られざる」現実界 第1巻
セッション 699
マサ 訳