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存在の仕組み

意識と個性 - 2

 できるだけ簡単に言えば、君達の実際の経験(わたしたちが体験していると思っていることの全体像)は君達が身体的に知覚するにはあまりにも広大すぎる。君達に特有の意識は、ある特定の分野内で焦点を絞った結果、生じたものだ。君達はそれを「絶対的」なものだと想像している。というのも、その意識は、君達が「自分とはこういう存在だ」と思っているものを含み、その他のあらゆるものを排除する、そんな状態を伴っているように見えるからだ。しかし、それが一つの王国であるかのごとく境界線を設定するのは君達以外の何者でもない。それ(その意識)は実際のところ、ある種の組織体だ。その組織体はそれ自体、異なる種類の意識群の一部なのだが、それでも、その組織体が侵害されることは全くない。それらには独自のフォーカス・ポイントがあるのだ。君達の肉体もそれ自体、自覚のある、意識の組織群からできている。君達はその組織群に気づかない。また、その組織群は君達のやり方とは全く異質な知覚的素材を扱う。

意識と個性 - 1

意識と個性

精神の本質。その人間的表現
セッション791 1977/01/17

マサ 訳

 さて、口述だ(長い休止)。多次元的な劇場で舞台に上がっている素晴らしい俳優であるつもりになってごらん。どんな役を演じても、平凡な芝居の創造的なパワーを遙(はる)かに凌(しの)ぐ生命力を帯びるような俳優だ。

 君達一人一人はそんな企てに乗り出しているところだ。そして、役に没入するあまり自分を見失っている。また、君達は一種のクリエイティブなジレンマにもはまっている。というのも、言わば、役者として自分の演じる役と自分とを混同しているからだ。あまりにも演技に説得力があるので自分でも騙(だま)されてしまうのだ。

意識子 - 2

 そういうわけで、少なくともここでは、魂ではなく、これら「意識の単位」という言葉を使って話したいと思う。(長い休止)それら(意識の単位:意識子)の本質は、君達の物理的な宇宙の中にあるあらゆるものの背後にある活力だ。また、その他のものの背後にもある。これらの単位は実際、同時にいくつもの場所に現れることができる。それも、君達の表現で言うなら、空間を通って動くことなしにだ。これらの基本的な意識単位は、言葉どおりの意味で、同時に全ての場所に存在することができる。(実際)同時に全ての場所にあるのだ。それらは認識されることはないだろう。というのも、常に何か別のものとして現れるであろうからだ。

 もちろん、それらは光よりも速く動く。一つの原子の中にはそれらが何百万もある。二、三百万どころではなく、もっと多くだ。これらの単位の一つ一つには他の単位全ての実体がわかっており、他の単位全てに影響を与える。君達の表現で言えば、これらの単位は時間的に前進することも後退することもできる。しかし、それらは君達にとって馴染みのない、時間の境界点の中へと動くこともできる。

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