できるだけ簡単に言えば、君達の実際の経験(わたしたちが体験していると思っていることの全体像)は君達が身体的に知覚するにはあまりにも広大すぎる。君達に特有の意識は、ある特定の分野内で焦点を絞った結果、生じたものだ。君達はそれを「絶対的」なものだと想像している。というのも、その意識は、君達が「自分とはこういう存在だ」と思っているものを含み、その他のあらゆるものを排除する、そんな状態を伴っているように見えるからだ。しかし、それが一つの王国であるかのごとく境界線を設定するのは君達以外の何者でもない。それ(その意識)は実際のところ、ある種の組織体だ。その組織体はそれ自体、異なる種類の意識群の一部なのだが、それでも、その組織体が侵害されることは全くない。それらには独自のフォーカス・ポイントがあるのだ。君達の肉体もそれ自体、自覚のある、意識の組織群からできている。君達はその組織群に気づかない。また、その組織群は君達のやり方とは全く異質な知覚的素材を扱う。
(10 時 10 分)生物的な種の境界さえも飛び越える、極めて「精緻(せいち)の限りを尽くした」形の提携関係がある。君達は自らの文化的な世界を芸術、製作物、市街、科学技術、そして、知的な頭脳の洗練された使い方などをもって捉える。また、君達は自らの宗教や科学や考古学、そして、環境に対する勝利を考慮に入れる。君達の目には、人間の意識が産み出したのと同等のものをもたらした他の意識は存在しないように見える。これら、君達の意識の「生産物」は実際に独特、創造的であり、独自の美と優雅さを備えた特徴的なモザイクを形作っている。
しかし、人類を飛び越える、意識の組織体達も存在する。それらは芸術や科学それ自体を産み出すことはないが、地球という生きている天体と、そこに住む、肉体を備えた生物達を共に形作っている。彼らの生産物は君達が船で渡る海であり、君達が飛行機で飛ぶ空であり、君達の街が広がる陸地だ。そして、君達の文化、あるいは存在し得るいかなる文化をも作る、その現実自体もそうだ。