(すべて強調しつつ皮肉な言い方で)しかし、意味のない宇宙という概念(宇宙も生物もすべて偶然の連鎖で生じたという考え)はそれ自体、極めてクリエイティブな想像行為だ。例えば動物達にはそんな愚にも付かぬことは思いも寄らないだろう。というのも、その理論が示すのは信じ難い偉業だからだ。即(すなわ)ち、明らかに秩序だっている精神と知性が、自分自身は無秩序あるいは混沌(こんとん)から生じた結果なのだと想像するなどということが可能であることだ ―― つまり、自分の脳の「地図」を作れる生物がいることになる。その脳の素晴らしく統制された秩序は、それ自体、何の意味も持たない現実界から生じることができたというわけだ。そうなると、その理論は実際、秩序だった宇宙というものは魔法のように生じたのだと説くことになる ―― そして進化論者達は、どこかにあらせられる偶然の神、あるいは「偶然様」を必ずや信じているに違いない。さもなければ彼らの理論は全く意味を成さないからだ。
想像の世界は実際、君達にとって自分自身の源泉との接点だ。その特性は君達が現在、直面することのできるフレームワーク2の特性に最も近い。
君達が体験する歴史、君達が人生において体験する日々は目に見えない形で観念群によって形成される。その観念群は想像の中にのみ存在しているのだ。そしてそれらは物理的な世界へと投影される。これは自分自身に関する君達の個人的な観念と、君達が想像の中で自分自身を見る見方に当てはまる。君達がユダヤ人とアラブ人とキリスト教徒との間でまた戦争をしているのは、宗教的な真実を文字どおり解釈することに重きを置いているからだ。
構想的な世界、そして、その力と強さは一人一人の中で歴史的な現実へと結合する。一人一人の中で、在るもの総てに備わる究極かつ不朽不滅のパワーは個性化され、時の中に佇(たたず)む。想像は人間を他の領域へと運ぶことができる。しかし、その真実をあまりにも小さい枠組みに押し込もうとするなら、人間は内なる現実界を歪(ゆが)め、ねじ曲げることになる。そしてそれらは、ぎすぎすしたドグマ(独断的な信条)になるのだ。