Seth Network Japan
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想念と健康

健康への道
セッション 1984/01/28

マサ 訳

 さて、君達に新たな、よい午後を。
 (「こんにちは、セス」)
 口述だ。(休止)君達の多くにとっては、溢れるほどの生命力、健康、活気に関する、これまでの話は、どれもこれも本題から外(はず)れているように思われるかもしれない。(長い休止)世界は、そういったことではなく、不幸や病(やまい)に満ちているように見えることもあるだろう。確かに、それが実状であるように見えることは私も認めよう。

 読者の君達には(ここで)私が、基本的に病気などというものはないと言ったら、かなりのショックでもあるだろう。しかし(実際に)存在するのは、病気ではなくプロセス(生理的な過程)だけだ。君達が「病気」と考えているものは ──

 (午後 3 時 56 分。ドアをノックする音がして、人(おそらく看護師)が病室に飛び込んできたかと思うと、白い敷物(シーツの下に敷くシート?)を一山(ひとやま)テーブルの上に置き、そのまま、走り出ていった)

 ── 完全に正常な身体的プロセス(免疫反応など)が過敏、あるいは過剰に現れたものだ。例えば、君達はウイルスに「襲われる」わけではない。ありとあらゆる種類のウイルスが普段から身体の中に存在するのだ。また、致命的なウイルスなどというものもない。(状況によって)通常の「ボーダーライン」を超えるウイルスがあるというだけのことだ。これについては本書の後の方でもっと詳しく話すことにしよう。特定の感情や観念は実際に健康を促進するが、その一方で、別の感情や観念が、具合の悪いことに、全く正常な身体的プロセスを過敏、過剰にしたり、ウイルスの活動を促進したりする。その仕組みを君達に紹介できたらと思う。

 これは、もちろん、君達が病気の「犠牲」になったり、ウイルスに罹(かか)ったりするわけではないことを意味している。どんな理由にせよ、君達自身の感情、想念、観念が自ら病気になるように事を運ぶのだ。ピリオド。

 多くの読者にとって、こういった考え方は、まず、医学的には「異端」である感じがすると思う。しかし、健康と“病気”をこうした新しい目で見るようになるのが早ければ早いほど、君達はそれだけ健康かつ幸福になるだろう。(長い休止)健康を損なう引き金を引くのは君達の想念と感情なのだから、君達は君達、病気は病気というわけではないのだ。この点がつかめたら、君達は、怖れ、不信、“病気”などではなく、溢れる生命力と活気を促進するための行動を起こせるようになる。

 (午後 4 時 7 分)(そして)君達は、いわゆる“病気”が特定の働きをすることに気づくだろう。病気の果たす役割は他の方法では決して達成できないと(まで)思うかもしれない。また、こうした病気の理由(複数)は潜在意識に深く埋(うず)もれているとも思うかもしれないが(実際は)ずっと顕在意識に近いところにある。(そうした理由は)通常、何年もの間に自分が決めてきた(選んできた)、一見、無害な事柄が重なってできているものだ(たとえば生活習慣病などの場合)。もちろん、それ以外にも、生活の中で起きた特定の出来事に対する反応として、急に決めた事柄が引き起こす病気もあるだろう。

 (長い休止)みんな、こんな風に教わってきた:身体とは「戦場」のようなものであり、病魔がふいに襲ってくるかもしれない。だから、得体の知れない黴菌(ばいきん)やウイルスに攻撃されたり病気に蝕(むしば)まれたりすることのないよう、片時も気を抜かずに用心しなくてはいけないのだと。

 間もなく、健康を害する他のネガティブな観念についての話に入るつもりだが、ここでは、こうした(人間に)生まれつきのポジティブな姿勢、気持ち、観念に焦点を合わせておこう。それらは、我々が元気で力強く、充足している、その感覚を絶えず増進してくれるのだ。