Seth Network Japan
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夫婦関係と肥満

個人、そして群衆現象の本質
セッション 859

マサ 訳

 君達の中にフロイト流、ダーウィン流の「自己」を未だに信じている者がいるとしたら、その君は自分自身の心の中を調べてみたいという衝動を怪訝 (けげん)な目で見ることだろう。心の中に積もり積もった、どんな凶悪な片鱗(へんりん)が露呈(ろてい)してしまうかと、びくびくしてしまうのだ。これは単に仮定としての話をしているわけではない。例えば、最近、真摯(しんし)な姿勢でここ(バッツ夫妻の住居)を訪れた一人の女性がある。彼女は自分が太っていることを気にかけていたが、太っているのはダイエットをきちんと守ろうという自分の意志が弱いからだと考えており、そのことで落ち込んでいた。落ち込んだ彼女が、ある心理学者を訪ねたところ、結婚生活が何らかの形で問題に関わっているのではないかと告げられた。(その心理学者のところには)二度と行かなかった、と彼女は言った。自分自身の中に、夫を殺してしまいたいとか、別れたいとかいう衝動が見つかったりしたら怖いというわけだ。しかし、太っていることの裏に何らかの不幸な衝動が隠れているのは確かだと彼女は思っていた。

 (休止)実際のところ、彼女の状況に隠れているのは彼女の中で何よりも真っ先にある衝動だ。すなわち、自分の夫ともっとコミュニケーションをとるということ、そして、自分を愛していることをはっきりと表現してくれるよう、夫に求めることだ。自分が彼を愛しているのと同じように彼が自分を愛してくれないのはなぜか?彼女は言い訳できた。それは、結局のところ、自分が太っているからだと。大体、彼は、いつも、自分には、お肉がたっぷりあるとケチをつけるではないかと。まあ、彼自身は、そういった好意的な言葉遣いはしなかったわけだが。

 彼は彼女が望んでいたような言葉で彼女への愛を表現することができなかった。女というものは隙(すき)あらば男の自由を奪ってしまうものだと信じているためだ。彼は、愛を必要とする自然な気持ちを哀れな感情的欲求だと捉えていた。彼らは二人共、女は男より劣っているものだと信じており、全く知らないうちにフロイト派の「教理」(ドグマ)に服していた。

 ここまでの話に出てきた、こういう観念は君達の生活と密接に繋がっている。今、話した彼は自分の中の衝動をよく突っぱねてしまう。そればかりか、そうした衝動が妻に対する慈(いつく)しみや愛情の表現に繋がる限り、その衝動自体に気づかないことさえある。

 衝動に気がついた途端にその衝動を抑えてしまったら、その分野での可能性を閉め出してしまうことになる。そして、困難な状況からひとりでに抜け出られるよう導いてくれる有益な行動が出てくるのを妨げてしまうのだ。